ベテランの鉄道ファンの話を聞きながら、「えっ、今なんて言ったの?」と思った経験はないだろうか。その場で聞けばよかったけど、話の腰を折りそうで遠慮してしまい、結局わからないまま。そんな言葉を集めてみた。

あなたはいくつご存知だろうか?

「まっこうくじら」

「いよいよ東横線の渋谷駅が地下になるんだってね」
「時代も変わったよね~。東横線から地下鉄といえば、昔はまっこうくじらによく乗ったもんだよ」
「冷房がなくてねぇ~。夏の地上区間ではつらかったよね(笑)」

「まっこうくじら」とは、地下鉄日比谷線の開業時に製造された3000系電車だ。愛称の由来は先頭車の形。真四角なボディながら角に丸みがあり、上部がつるんとして、下部の波板状の飾りも鯨のお腹を連想させた。

3000系は1961年から製造され、1994年まで日比谷線で活躍。中目黒駅から東急東横線へ、北千住駅から東武伊勢崎線にも乗り入れた。現在は長野電鉄に譲渡され、現役で運行されている。

東京メトロが保存する3000系トップナンバー

長野電鉄ではいまも現役で活躍中

「青ガエル」「銀ガエル」

「東横線といえば、渋谷駅に青ガエルが置いてあるよね」
「そうそう。でも僕は東横時代は知らないんだ。大井町線で乗ったけど」
「あれ、当時は大井町線じゃなくて田園都市線じゃなかった?」

東横線の「青ガエル」といえば5000系電車だ。渋谷駅ハチ公前広場に置かれた姿を見れば、誰もがその名前に納得するだろう。丸みを帯びた2枚窓の先頭車はどことなく愛嬌があり、緑色から連想して、誰ともなく「青ガエル」と呼ばれるようになった。沿線の利用者からは、その形状から「おにぎり電車」とも呼ばれていた。ちなみに、熊本電鉄ではいまも現役でがんばっている。

派生車種として、5000系をベースに車体をステンレス製とした5200系も製造された。こちらは青ガエルの銀色版として、「銀ガエル」の愛称がついた。沿線利用者には「湯たんぽ」の別名でも呼ばれていた。

ちなみに、上の会話を説明するのはちょっとややこしい。

東急大井町線は現在、大井町駅と溝の口駅との間を走っている。もともと大井町線の名称で開業したものの、1945年に溝ノ口線に乗り入れを開始し、1963年に溝ノ口線と大井町線を統合して田園都市線となった。その後、1979年に渋谷駅と二子玉川園駅(現在の二子玉川駅)を結ぶ新玉川線が開通し、田園都市線との直通運転を開始。この区間から外れた大井町~二子玉川園間は、名称を再び大井町線に戻した。2000年、新玉川線は田園都市線に統合。2009年7月に大井町線が溝の口駅まで延伸され、現在の路線網となった。

「青ガエル」こと5000系は、現在の大井町線が「田園都市線」と呼ばれていた時代にも運行されていた。ゆえに上の会話になったわけだ。

ハチ公前に展示されている青ガエル

熊本電鉄ではいまも現役で活躍中

なお、東急電鉄には現在、5000系という名の新型電車が存在するため、「青ガエル」は旧5000系とも呼ばれている。

「いもむし」

「そういえば、名鉄にも変な名前の電車があったね」
「いもむしじゃないかな。赤い流線型の」
「そうそう、特急用なのにいもむしなんて、気の毒だと思ったんだよ」
「でも最後は緑色に塗られて、本物そっくりになったんだよね(笑)」

名鉄の「いもむし」とは、1937年から2002年まで活躍した3400系電車。名古屋鉄道の特急用車両として製造され、当時流行していた流線型の車体が特徴だった。流線型を徹底させるため、床下機器を覆うカバーも装備するこだわりだった。ところが、登場当時はカバーも含めて緑色に塗られていたことから、「いもむし」というあだ名が付けられた。

看板特急だった「いもむし」だが、名鉄パノラマカーと交代して特急運用から引退。ただし、優れたデザインと人気から、その後も長らくローカル運用に就いていた。上の会話の「最後は緑色」とは、引退時に登場当時の緑色に戻されたことを指す。現在は1両のみ、舞木検査場で保存されているとのこと。

「ロイヤルエンジン」

「ところでEF58の61号機って、いまどうなってるの」
「ああ、ロイヤルエンジンね。大井町に保存されているって聞いたけど」
「もう走らないのかなあ」
「うーん、いまやお召しも電車の時代だしねぇ」

「ロイヤルエンジン」とは、お召し列車を牽引する機関車の愛称だ。お召し列車の運行が決まると、その路線を走る機関車から、もっとも良好な車両が選ばれて念入りに整備された。車体はピカピカに磨き上げられ、国旗が取り付けられた。「ロイヤルエンジン」を務めることは、機関車にとっても、所属する機関区にとっても、整備士にとっても、たいへん名誉なことだった。

EF58形機関車の61号機は、当初からお召し列車として使用される前提で作られた電気機関車だ。塗装は御料車に合わせた「暗紅色」で、銀色の飾り帯を側面まで伸ばした。お召し列車との連絡電話など特別な装備を持っていた。上の会話に出てくる「大井町」は、JR大井町駅付近にある東京総合車両センターである。EF58 61は、お召し列車としても使えるE655系電車と交代する形で運用を離脱した。現在は同センターで保存されているという。

「レッドトレイン」

「かつてのブルートレインブームも風前の灯だな」
「いまは日本海、北斗星、あけぼの、急行のはまなす……くらいか。カシオペアは銀色だし、トワイライトエクスプレスは緑だし」
「そういえばレッドトレインもあったよな」
「あれは寝台列車じゃなくて鈍行列車だよ!」

「レッドトレイン」とは、国鉄末期に製造された50系客車で編成された列車で、現在は運行されていない。50系客車の車体色は、交流電気機関車に合わせた赤だった。そのため、交流電化区間は機関車も客車も赤で統一された。ゆえにブルートレインに対して「レッドトレイン」と呼ばれるようになった。

50系客車は、茶色や紺色の旧型客車で運行されていたローカル線の普通列車を近代化するために作られた車両だ。近郊型電車に準じた座席と空調を備えていた。しかし、その寿命は短かった。ローカル線に電車とディーゼルカーが積極的に投入されたためだ。製造から間もないにもかかわらず、50系客車はそのほとんどが廃車となってしまった。しかしJR北海道「ノロッコ号」やJR九州「SL人吉号」など、一部の車両は改造された上で現在も残っている。中には通勤用ディーゼルカーに改造された車両もある。

快速「海峡」用に青く塗られたオハ50形

流氷ノロッコ号用に改造された50系客車

ニックネームが付けられる車両には、古くて個性のあるタイプが多い。長い時間をかけて親しまれ、愛称を与えられ、浸透していくからだろう。一方、最近の車両は洗練されたスマートなデザインが多い。その反面、表情に愛嬌がなくなっている気がするのは筆者だけだろうか。

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