6月7日にApple CEOのスティーブ・ジョブズ氏がクパチーノ市の市議会で新キャンパス建設計画を説明した。同社が新本社を作ろうとしていることは、昨年11月に土地購入が報じられた際に公知となっていたが、ジョブズ氏が計画中の新メインビルを「宇宙船が着陸したように見える」と表現したものだから大騒ぎになった。たしかに森と巨大なドーナッツ型のビルのコントラストが際立つデザイン画はSFアニメのワンシーンのようである。「Appleの宇宙船型本社/ジョブズの聖堂」と書かれ、「Apple新本社の秘密機能」とからかわれても、このデザイン画では「仕方ないかな……」と納得してしまう。その一方で、現在の本社Infinite Loopが完成した頃からAppleの経営が傾き始めた過去を思い出したAppleファンも多く、巨大で奇抜な新キャンパス建設を懸念する声もある。そこは筆者もAppleユーザーの1人として気になるところ。そこでAppleが建設を希望している場所をこの目で確かめて、宇宙船が降り立つ未来を想像してみた。

クパチーノ市議会でのプレゼンテーションでジョブズ氏が「宇宙船」と表現したデザイン画

建設計画地は元HPクパチーノ・キャンパス

Appleがドーナッツ型ビルの建設を計画している場所は、現在の本社から車で10分弱の距離にある。Hewlett Packard(HP)のキャンパスだった場所で、広さは約98エーカー。Appleは南側に隣接する約50エーカーの土地も06年に購入しており、これら2つを合わせた新キャンパスは150エーカー規模になる。

右の緑色部分が計画中の新キャンパス、左が現在のキャンパスInfinite Loop

06年に購入した南側の土地は現在、Appleがオフィスとして利用している

市議会でジョブズ氏は緑豊かな公園のようなキャンパスをアピールしていたが、現在のHPのキャンパス自体が樹木の多い環境だ。HPは元々あった木々をそのまま利用したのだろう。太くて背の高い木が数多く生い茂っている。Appleは現在3,700本の樹木を6,000本に増やすという。今ある木に合わせて造林していくとしたら、ちょっとした森に近い状態になりそうだ。

今もHPの看板が残る元HPクパチーノ・キャンパス。HPは同キャンパスの事業をパロアルト本社に移した

HPクパチーノ・キャンパスのおよそ半分は駐車場。Appleは地下駐車場と立体駐車場を利用し、地上を緑で埋めようとしている

ドーナッツ型のメインビルは12,000人以上が働ける規模になる。リング状に広がっているので上空から俯瞰したデザイン画はド迫力だ。しかし、高さは4階建てでしかない。現在残っているHPオフィスビルが木々に遮られて周囲の道路からほとんど見えないことを考えると、Appleのドーナッツ型ビルも、地上からではそれほど目立たないように思う。俯瞰イメージから、新本社ビルがAppleの自己顕示欲の現れと思われているところがあるが、現地に立ってみると、森とドーナッツ型ビルはそこで働く社員とAppleの今後を考えたデザインのように思えてきた。

宇宙船は地上からだとカーブしたガラスで覆われた建物に見える

新キャンパスはAppleのシリコンバレー精神のあらわれか

成功しつつあるシリコンバレースタートアップの多くは、成長とともに必要となったオフィスをシリコンバレーのあちこちに点在させている。減速し始めたときの統合を考えていたり、または急速な成長ペースにキャンパス作りが追いつかなかったりなど、理由は様々だ。Appleも例外ではなく、Infinite Loopの収容人数は2,600人~2,800人で、現在クパチーノ地域で働く約12,000人の社員を周辺60カ所のビルに分けている。

しかしながらオフィスの分散は、部門間のつながりを重視するジョブズ氏の考えに反する。Infinite Loopは93年に完成してから研究開発部門の拠点だった。97年にジョブズ氏がAppleに復帰すると、研究開発以外の部門もInfinite Loopへ移して部門間の連携を高めた。ソフトウエアとハードウエア、さらにサービスや小売りなども統合したビジョンへの最初の一手だったと言える。00年代の急成長でオフィスの分散が避けられなかったものの、それでもAppleは12,000人を本社周辺に集中させている。巨大本社の建設はフットワークを重くするリスクを伴うが、各部門が輪になってつながるドーナッツ型のビルはジョブズ氏の理想なのだと思う。

現在のApple本社キャンパスInfinite Loop

クパチーノは周辺の大都市や2つの空港、シリコンバレーの各都市を結ぶ101号線から離れていて、お世辞にも便利な場所とは言い難い。12,000人以上が働ける本社ビルを新たに建てるのだから、これを機会に他の地域や都市に移ることも可能だったはずだ。

それでも新オフィスをクパチーノに置くことを決めたのはシリコンバレー精神というものなのかもしれない。ジョブズ氏はクパチーノ市議会において、自身が13歳のときにアルバイトをした経験があるHPキャンパスへの思い入れを語っていた。HPはシリコンバレー誕生の歴史に関わる企業であり、クパチーノ・キャンパスは創業者2人の起業家精神が息づいていた場所の1つだった。大企業を受け入れるインフラが整っていて、Appleに税優遇を用意する都市はいくつもあると思う。だが、HPと同じようにガレージから誕生したAppleが、そのシリコンバレー精神を宿し続けられる場所となると、そう多くはない。社員を1カ所に集めるドーナッツ型の巨大ビル、そして旧HPクパチーノ・キャンパスという場所は、グローバル企業に成長しながらもシリコンバレーのスタートアップの精神で攻め続ける姿勢の現れではないだろうか。新キャンパスに移っても、Appleは守りに入らずサプライズを提供してくれそうだ。