時計メーカーやジュエラーが年に一度、スイスで新作をお披露目する世界時計博こと「BASELWORLD」や「SIHH」期間中、頂上ブランドが独自の世界観を伝えるために、ハリウッドセレブやトップアスリートらを招いて催すパーティーやイベントにも面白いものがある。

今年1月、ジュネーブで開催された「SIHH 2010」でIWCは、サッカーのジダン選手を招いた。同3月にバーゼルで催された「BASELWORLD 2010」でタグ・ホイヤーは、俳優のレオナルド・ディカプリオを招いて地球環境保全に貢献するという指針を示した。そしてブライトリングは、ミステリアスかつゴージャスである大規模なパーティーにより、世界各国から厳選して招待したプレスやトップリテーラーたちに時計メーカーとしての威信、ブランドの世界観を伝えた。

そこで今回は、伝統的に航空パイロットのための計器であるクロノグラフを作り続け、世界的に多くの愛好家を有するスイスの時計メーカー、ブライトリングがBASELWORLD 2010開期中に開いたシークレットパーティーの模様をリポートする。

マイケル・ジャクソンばりのダンスパフォーマンスも!?

毎年、催されるブライトリングのパーティーは、内容はおろか会場さえも事前に知らされることはない。ミステリーであり超豪華でもありワクワクドキドキの連続であることは例年変わらない。

今年は夕闇が迫るころ、指定された場所で待っていると、近くの広場に若いダンサーたちが集まり、マイケル・ジャクソンばりのダンスパフォーマンスが始まった。既にパーティーは始まっているのだ。そこに貸切のトラム(ちんちん電車)がやってきて、別の街で降ろされる。

バーゼル市はドイツにもフランスにも隣接しているため、その地がスイスなのかドイツなのかはわからない。教えてもらえない。街道沿いにはドイツ・バーバリア地方に古くから伝わる民俗衣装、まるでアルプスの少女ハイジのようにキュートな装いの男女がたくさん立っていて誘導してくれる。中には本物の牛を連れた、牛飼いに扮する人もいる。

しばらく歩き、超巨大な工場跡地のような施設に招きいれられるとそこは、バーバリア地方の古い祭典会場のよう。綿菓子の店、フィンガーフードの店など、幼いころ行った縁日の露店に接するようなワクワク感に包まれる。

大型ブランコはもとより、中央にはあろうことか、キラキラと輝く遊園地の大型アトラクションまである。そこでしばらく遊び、ビールなどをもらい、軽食を頂く。お菓子の大きな首飾りをもらうと、中央にメレンゲのようなもので「I LOVE ROLEX」と書いてある。同行したジャーナリストのものに目をやると、LOVEのあとがパテック フィリップだったりオメガだったり。心にくい演出である。

その会場から奥に向かうようアナウンスがあり、進んでいくと巨大ステージ、テーブルのある別会場が用意されていた。ここで鶏の丸焼きなど、ドイツの本格料理がふるまわれる。女性には持ち上げることも困難なほど大きなジョッキに、ドイツビールがなみなみとつがれる。その合間にキュートなジャーマンスタイルのスタッフが次々とあらわれては、アクセサリーを配ってくれたり大きな焼き立てパンを運んでくれたりする。矢継ぎ早に気持ちのこもったサービスを届けてくれるのだ。

バンドはドイツの伝統音楽などを奏で、時に乾杯の合図を送り場内を盛り上げていく。ローリング・ストーンズの「サティスファクション」が鳴り響くころには、我々ゲストも陶酔状態となりスタンディングオベーション状態に。

クライマックス――。

誰もが終焉を予想したころ、促されて先のワンダーランドへと移動。そこを通って、黒猫やコウモリ、ドクロなどで飾り付けされた不気味なゴンドラに乗る。途中停車すると広いステージがあり、ゾンビの集団がダンスに興じるという、まさにマイケル・ジャクソンの世界観が展開された。ゴンドラは再び上昇し、今度こそパーティーの終焉を予感したが、またしても別会場へと移動。そこは人から建物、雰囲気までもがすべてキューバ。

立ち働く人、ダンサーまですべてキューバから招き、気温・湿度まで、そっくりそのまま現地のクラブシーンが再現されていた。

天井にはハバナリーフ(葉巻用の超一級葉煙草)が吊され、キューバンビートががんがん流れる中、ダンサーたちがセクシーなダンスを展開。さらにセクシーな女性ディーラーがいるカジノもある。

キューバの一級トルセドール(葉巻職人)もきて、くゆらすシガーを目の前で巻いてくれる。先のジャーマンテイスト満載の会場のスタッフたちはドイツから、こちらでは本場モヒートを作ってくれるバーテンに至るまでキューバから呼んでいるという。

このパーティの準備期間は1年。スタッフ動員数も半端な数ではない。心底、楽しませてもらい、取材疲れも日ごろのストレスさえも吹き飛んでしまった。思い返すとあれは、すべて夢だったのではないかとさえ思えるほどだ。