映画業界やゲーム業界などの各産業界に、数多くの優秀なクリエイターを輩出し続けている、デジタルハリウッド。同校は今年で開校15年を迎える。そこで、デジタル時代のコンテンツづくりを教える、先駆けの学校である同校の歴史を、創立者の杉山知之学校長の言葉を元に紐解いていこう。

デジタルハリウッド開校のきっかけ

デジタルハリウッド創立者の杉山知之学校長

杉山氏はデジタルハリウッドを開校する前、デジタルメディア研究において世界でトップクラスのアメリカ・マサチューセッツ工科大学メディア研究所(米国MITメディアラボ)で研究員をしていた。1990年前後、このメディアラボの日本版をつくろうという話が持ち上がったが、計画を実行に移す段階になってバブル経済が崩壊、その話が頓挫してしまう。しかし、日本に戻った杉山氏はメディアラボで見てきた最先端技術を活かしたいと考え、仲間とともにCGプロダクションを立ち上げ、VR(仮想現実)の研究開発などを始める。その当時を杉山氏はこう振り返る。


「その当時は、他に競合がなく、引く手数多で、次から次へと仕事が入ってくる状態でした。しかし人手が足りないし、人を引き抜いてくる先もない。そこで、"これは人材を育てなきゃいけないんだな"と思いました」

また、杉山氏の会社には当時5,000万円ほどしたSGI社のリアリティエンジンというグラフィックワークステーションがあった。ある日、それを聞きつけた東京芸大の大学院生が杉山氏を訪問、Virtual Realityの仮想空間に作品を展示できないかと提案してきた。その学生は油絵を描いている学生で、卒業制作展で自分の作品を展示しなければいけないのだが、作品が多いため、仮想空間に作品を展示したいということだった。この提案を引き受けた杉山氏は、リアリティエンジンの使い方をその学生に教えた。PC操作やCGとは、これまで恐らく無縁だったと思われる生徒だったが、半年ほど操作方法を教えると見事な作品をつくりあげていた。杉山はそのとき実感した。

「それまでCGというと理系の子が興味をもつイメージがあって造形や美術的価値の低い作品になりがちだったが、理系でなくても道具の使い方さえ教えれば素晴らしい作品が作れるんだ

これらふたつの事柄がデジタルハリウッド開校のきっかけとなり、デジタルコンテンツ教育に向けて動き始めた杉山氏だったが、その道は平坦ではなかった。