ナシーム・ニコラス・タレブが著した『ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質』(望月衛 訳)を読んだ。米国でベストセラーとなった本の邦訳である。著者はレバノン出身で米国に滞在中のトレーダ兼客員教授である。本書を読んでいくと、彼が哲学、歴史、経済学、心理学、統計学、情報科学などに人並み外れた知識を持っていることよくわかる。

上下巻で構成される『ブラック・スワン』では、「黒い白鳥がいる可能性」と「黒い白鳥がいない可能性」を同じものとして扱っている専門家を全編に渡ってきびしく批判する

表題となった「ブラック・スワン」とは、オーストラリアで発見された黒い白鳥に由来するものであり、ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象を意味している。本書で扱っている内容は、人間には、黒い白鳥の出現に見られるようなランダム性、とくに大きな変動は見えない、という問題である。その理由として、人間には「プラトン性」と呼ぶべき純粋で扱いやすいものばかり焦点を当てる傾向があるとする。その際に利用するモデルとは、役には立つが気まぐれにひどい副作用を起こす薬のようなものであり、十分な注意が必要で、実証的懐疑主義が不可欠であるという。このようなモデル、とくにベル型カーブ(ガウス分布、正規分布ともいう)を用いて予測を行い、講釈を述べる統計学者や経済学者を著者は激しく非難する。

その事実や歴史を見る目は、鋭い。彼は、歴史に接すると人間の頭には次の3つの症状が出るという。

  1. 「わかった」という幻想 … 世界は実感するよりずっと複雑である
  2. 振り返ったときのゆがみ … バックミラーを見るように後づけで物事を解釈する
  3. 実際に起こった出来事に関する情報を過大評価

これらは、大事故などが起こったときのマスメディアのコメントを聞いたり、「失敗学」などの解説を読んでいて感じる違和感の原因を的確に指摘しているといってよいだろう。

また、現在は、「月並みの国」だけでなく「果ての国」とも言うべき世界が広がっており、2つの国の特徴は以下のとおりであるという。

  1. 月並みの国 … 従来の国。物理法則に縛られる世界であり、弱いランダム性に支配される。身長、体重やカロリー摂取などがその世界のもので、その分布は正規分布に近い。ここでは、極端にはずれたものは出現せず、比較的予測がしやすい
  2. 果ての国 … 拡張可能性のある世界に生じるものであり、強いランダム性に支配される。本の売り上げや収入、都市の人口などがその世界のものである。正規分布では決して扱えない世界。データを積み重ねても知識はゆっくりと不規則にしか増えず、予測のつかないことに支配される

そして、果ての国の問題に対して月並みの国のアプローチを行い、ベル型カーブに基づき予測や最適化をおこなうので多くの経済学者は大きな間違いをおかしてきたという。リーマンショック前後の状況をみると、これらの指摘は傾聴に値するものであろう。

専門用語を極力排し、一般の読者にもわかりやすい言葉で綴られている。最初から読み通してもよいし、ぱらぱらとめくって気になる箇所だけ読んでも、十分におもしろい

著者は、果ての国にも起こることに察しがつく事象もあるという。このような「灰色の白鳥(それほど強くないある種のランダム性)」の世界に対しては、べき乗則やパレートの法則が成り立ち、たとえば「イタリア全土の80%は全国民の20%が所有している」や、「米国の本の売り上げの97%は作家の20%が占めている」などといったことが成り立つと説明する。べき乗則やパレートの法則については、すでにいろいろな研究者が取り上げてきたもので特に新しい指摘ではないが、現実世界にこのような分布が多くなっているという指摘は有用なものといってよいだろう。

このように、正当で非常に有益な記述は多いが、さてと首を傾げたくなるような指摘もある。著者は、「黒い白鳥がいる世界では、予測をしようとするのではなく、その世界に順応するしかない。そして、反知識を利用して、失うものがほとんどなく、万が一起これば得られるものが大きいものに賭けるのがよい」と主張する。たとえば、資産の大部分(85 - 90%)を安全な金融商品(米国債など)に投資し、残りは投機的な賭け(オプションなど)に投資するのがよいという。しかし、このような判断の根底にあるものは、「投機的な賭けは確率的に儲かる場合が多い」という"予測"ではないのか。そうでないなら、安全な商品だけに投資するのが合理的だということになる。この部分は、懐疑主義の重要性を主張する著者が、自らの判断には疑いを挟んでない、という矛盾につながるのではないだろうか。

私自身は、予測を行うことが悪いことだと思わない。拙著『ITリスクの考え方』(岩波新書)にも書いたように、世の中にゼロリスクはない。したがって、すべてのものを対象に対策を実施することはできないので、それぞれのリスクを定量化、あるいは準定量化した上で、対策のプライオリティ付けを行うことが不可避だと思っている。ただし、その数値を絶対的と思わないことが大切であろう。すなわち、定量的に分析し、定性的に判断するという試みこそが重要なのである。そして、それぞれの最終的な判断は、それぞれの自己責任に帰すものだとすれば、主観確率の概念を導入し、客観確率と定性的判断の間に設置すべきであると思う。あるいは、著者が「のこりはものすごく投機的な賭けに投資するのがよい」というとき、この主観確率を暗に導入していたのではないだろうか。

主観確率とリスクコミュニケーションの問題など、リスクに関してはまだまだ研究すべき課題は多いと思う。リスクに関するいろいろな問題を深く考えさせてくれた本書は、推薦に値する実に刺激的な本である。

ブラックスワン - 不確実性とリスクの本質 (上)(下)

ナシーム・ニコラス・タレブ 著 / 望月衛 訳
ダイヤモンド社
2009年6月18日発行
四六判 / 312ページ (上) / 352ページ(下)
ISBN978-4-478-00125-7(上) / ISBN978-4-478-00888-1(下)
定価 上下ともに1,800円 + 税
出版社から: 歴史、哲学、心理学、経済学、数学の世界を自由自在に駆けめぐり、人間の頭脳と思考の根本的な欠陥と限界を解き明かす超話題作。今回の世界金融恐慌を原理的に予言した書として、全米でミリオンセラーを記録。人間のものごとの認知にともなう根本的な問題を明らかにし、読む者を深く考えさせずにはおかない。