Microsoftの次期クライアントOS「Windows 7」がリリースに向けて順調にベータプログラムをこなしている。Windows Vistaから一転、発売前からユーザーの期待感が高まっている理由の1つはベータ・プログラムの進め方にある。以前のMicrosoftは、最終的な形になるまで開発中のWindowsの情報を共有・公開しなかった。ところがWindows 7では大規模なパブリックベータを展開し、ユーザーの声を積極的に製品開発に取り入れている。ユーザーを巻き込んだ開発プロセスは透明感があり、ユーザーの期待感にもつながっている。

おそらくMicrosoftがユーザーの"利用体験"を製品開発に取り入れたのはOfficeが最初だろう。それがWindowsに広がり、そしてMicrosoft全体の姿勢になりつつあるようだ。その変化はMIX09にも現れていた。今年のテーマはずばり"エクスペリエンス"。そして昨年Ray Ozzie氏(Microsoft CSA)が担当したオープニングキーノートのスピーカーを、今年はBill Buxton氏(Microsoft Research主席リサーチャー)が務めた。同氏はコンピュータサイエンティスト兼デザイナーであり、特にヒューマン-コンピュータ・インタラクションに関する研究で知られる。2005年12月にMicrosoftに迎え入れられた。

MSR主席リサーチャーのBill Buxton氏

登壇したBuxton氏はマッドサイエンティストのような風体で、しゃべり方はとても早口。自己紹介やあいさつを省略して、いきなり本題に突入した。いわく「デザインは、その製品を使うユーザーのためであって、製品そのもののためではない。賞を獲得できるような優れたデザインであっても、使うユーザーのニーズに合致しなければ失敗である」という。

そこでマウンテンバイクをカタログ風に写した写真と、小川にマウンテンバイクが飛び込む写真を示した。前者からはメーカーの名前が読み取れるが、後者からはどこのメーカーのバイクか分からない。どちらがマーケティング効果を期待できるか? メーカー名が伝われなければ意味がないと思われがちだが、ユーザーに利用体験を伝える後者の方が効果があるとBuxton氏は指摘した。

メーカー名(TREK)をはっきりと読み取れる写真

どこのメーカー製品か全く分からないが、マウンテンバイクの楽しさが伝わってくる写真

真に優れたデザインにはストーリーがあるという。ストーリーには2つの要素がある。1つはデザイナーのスケッチから生み出されるデザイン、もう1つはユーザー体験だ。一例としてBuxton氏は、1926年にWalter Dorwin Teague氏がデザインしたKodakのポケットカメラを挙げた。当時Kodakは女性ユーザーの拡大を望んでいた。そこで雑誌デザインを専門としていたTeague氏はユーザーが鞄に収められるヴァニティカメラを設計(デザイン)し、そして消費者の声(ユーザー体験)に耳を傾けて5つのカラーを揃えた。これは2003年にAppleがiPod miniのデザイン/マーケティングに使った手法と同じである。「Jonathan (AppleデザイナーのJonathan Ive氏)は盗んだのではない。学んだのだ。成功したデザインコンセプトが語るストーリーに耳を傾け、そして再び実践したのだ」と指摘した。

Teague氏が1926年にデザインしたKodakのポケットカメラ

1928年に女性ユーザー獲得を目指して5色で発売された。80年後、AppleがiPod miniで同じデザイン/マーケティングを実践

ストーリーは偶然の産物ではない。Buxton氏は「幸運とは、準備とチャンスの出会う時」ということわざを示した。1つのデザインで様々なコンセプトを試す周到な"準備"をしてこそ、"幸運"と呼べるような大きな成功を得られるというのだ。

Buxton氏の言葉はデザイナーだけを対象にしたメッセージではない。「あなたが技術を備えたプログラマーならば、プログラミングを始めるのは最後の作業だ」と付け加えた。ストーリーを無視して場当たり的に進めれば、デザイナーも開発者もつぎはぎの結果しか得られない。いきなりソフトウエア開発ツールを起ち上げるのではなく、まずはアイディアをスケッチし、様々な声を聞きながら推敲を重ねる大切さを説いた。

電話のユーザーインタフェース・デザインのコンセプトを試すのにポストイットを使用。デザインする上で、まず電話を忘れた方がアイディアがふくらむという

この「ストーリーを込める」というBuxoton氏の言葉からは、Windows 7開発に見られるMicrosoftの変化が浮き彫りになる。同氏の講演は過去のMicrosoftのキーノートで経験したことのない内容・雰囲気だったが、それが今日の同社の姿なのだ。

近年MicrosoftはUX(ユーザーエクスペリエンス)分野の人材を、技術者の2倍のレートで雇用している

UXへのこだわりから折りたたみマウス「Arc」のような製品が生まれている