逮捕は妥当か、表現の自由か

ミネルバ逮捕のニュースが流れると、ネティズンたちの討論熱も再度高まった。「嘘の流布、大統領侮辱、国民の扇動の罪は、必ず処罰すべき」と逮捕に賛成する意見がある一方、「インターネットへの書き込みという表現ていどで拘束までするなら、これからどうやって書き込みをしていけというのか」と、逮捕はやりすぎと主張する意見に大きく分かれている。書き込み規制と表現の自由の問題は、インターネットで問題が起きるたびに浮上する命題だ。

以前の例では、過激な書き込みが引き金と思われる芸能人の自殺が社会問題になった韓国だが、対策として政府では、書き込みをする際は本人確認が必須になる「インターネット実名制」といった制度を実施してきている。

今回は政府による、規制や法改正などの具体的な動きはまだ見えないものの、こうした問題が起きるたびに、責任を問われ規制の対象となるのはポータルサイトを始めとした大規模サイトで、これらの企業で何らかの自主規制などを提案してくる可能性は十分に考えられる。

そして今回の場合は、書き込みを規制することよりも、検察がミネルバを逮捕した事実そのものに、論点があるように見える。これほどネティズンを熱狂させた人物も稀ではあるが、それに対する逮捕事例もまだ稀であるため、その妥当性が論議されるのは、当然の流れと言えるかもしれない。

日本でもオンライン上の殺人予告などに対して逮捕事例が出ている。最近急激に増大している書き込みに対する制裁は、政府や世間がそれほどインターネットの書き込みに対して現実味を感じていることの表れでもあろう。

ミネルバは現在、検察に拘束され調査が進められている。インターネットから彼はいなくはなったが、ニュースやインターネット討論はいまだ盛り上がりを見せている。彼の語録を集めた本が出版され、テレビでは特集番組が組まれている。ミネルバ事件を冷静に見て分析するには、まだまだ時間がかかりそうだ。