昔、「勝手に話し出す黒電話」があった

「有線」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。実はこの質問、答えが世代や出身地によってガラリと変わるかもしれない。

若い世代や都市部の出身者にとっては、「有線」といえば多チャンネルでBGMなどを流している「有線ラジオ放送」(「USEN」に代表される)のことだろう。しかしもっと上の世代、そしてそれほど大都市でない地域の出身者は、「有線」と言われると「ああ、そういえば勝手に放送が流れだす黒電話があったな」と思い出すのではないだろうか。

その昔、といっても1960~70年代にかけてだが、日本には「有線放送電話」という設備があった。いまでこそ日本中に張り巡らされている一般加入電話(いわゆる固定電話)だが、当時はまだ一部の大都市でしか使えなかった。「電話機」そのものはそれほど高価でもないのだが、インフラである「電話線」が普及していなかったためである。

有線放送電話。地域内にはりめぐらした電線を使い、役場から一斉放送をしたり、地域内の家同士だけで電話のように通話をすることができた

そこで、まだ一般電話が開通していない地域では、地域内で独自に電話線を張り巡らし、それを使って地域内だけで通話できるようにした。これが「有線電話」というものだ。この電話線は、放送にも使用することができ、あわせて「有線放送電話」と呼ばれていた。これが、いわゆる「有線」である。

つまり、小さな地域の中で、役場と住民の家を相互に電線でつなぎ、その電線を通して通話をしたり(電話)、役場からいっせいに音声を流したり(放送)、といったことができるようにしたのだ。

ネットワークにたとえると、「プロバイダに接続してないからインターネットにはつながらないけど、村の中にはLANケーブルが張り巡らしてあって、村役場内のWebサーバーにアクセスしたり、村民のパソコン同士でメールしたりはできる」みたいな感じである。

一般電話と有線電話の意外なカンケイ

余談だが、有線放送電話はのちに電電公社(現在のNTT)の一般加入電話網にも接続し、制限付きではあるが他の地域とも電話ができるようになった。上のネットワークのたとえでいうと、これはまさに「村役場のサーバーをインターネット回線につなげることで村中のパソコンがインターネット接続できるようになった」ということに相当する。ネットワーク的にいえば「ゲートウェイを導入してローカルネットワークをグローバルネットワークに接続した」ということで、まだ「インターネット」なんていう言葉も普及していない時代に、電話網(アナログネットワークだ)で同じことが行われていたというのが興味深い。

有線放送電話システムの栄枯盛衰

すでに書いたように、有線放送電話は「放送」用途にも使われていた。その内容は、イベントの告知や天気予報といった定時放送、臨時に行なわれる防災警報、地域で目撃された不審者への警戒警報などだ。地域によっては、個人の呼び出しまで行なえるところもあったという。まさに、地域密着型の情報システムだったのである。

面白いのが、その放送手段。なんと、有線放送電話用の黒電話に付いているスピーカーから流れてくるのだ。ラジオのようにスイッチを入れたり選局したりすることなく、放送が始まるといきなり勝手に流れだすのである。

「農事放送」(農事有線放送)という言葉を聞いたことのある人もいるだろう。農薬散布のタイミングや、台風への警戒などを呼びかける放送だ。実はこれも、有線放送電話を利用した放送なのである。

このように、地域内のコミュニケーションインフラを一手に引き受けていた有線放送電話だが、1980年代頃からは衰退が進む。一般加入電話や防災無線が普及したためである。また、地方でも生活様式の多様化が進んだことで、勝手に鳴り出す放送を迷惑だと感じる人も増えてきたようだ。たしかに、電話は一家に一台どころかひとり一台になったし、情報源もインターネットに頼れる現在では、無理もないことなのかもしれない。