日本の面積の約8倍という広大なインドには、22カ所にのぼる文化遺産がある。すべて見たいと思ったがそうもいかず、インドを代表する世界遺産タージ・マハルに的を絞って訪れた。今回は、そのひときわ美しいタージ・マハルを中心に、関連のある世界遺産のアグラ城、タージ・マハルのモデルとなったインドの首都・デリーのフマユーン廟をまとめてご紹介したい。

タージ・マハルまでの長い道のり

タージ・マハルは、インド北部のアグラにあり、デリーからは鉄道や車で2~4時間程度。時間に幅があるのは、列車の種類により所要時間が違うためと、著しい遅れが生じる場合が多いためだ。

今回私は車をチャーターしたが、結局4時間半もかかった。年間400万人もの観光客が訪れるこの地は、環境にも配慮がなされていて、広い敷地の外からは車両が一切入れなくなっている。入場窓口までのおよそ1kmを徒歩かリキシャ(三輪自転車)で移動する。この間、ガイドを名乗り出る人に囲まれる場合があるので、十分注意したい。ちなみに、私はガイドを予め頼んでおいたのでトラブルもなく通過できた。入場口の脇にあるチケット売場で入場料を払い、荷物検査をし(この時大きな荷物は預けさせられる)、ようやく入場となる。整備された敷地内を進むと、そびえ立っている赤砂岩でできた大きな南門が見える。そこをくぐると、待ちに待ったタージ・マハル廟の姿がいよいよ拝められる。

タージ・マハルの正門。アーチの部分にコーラン(イスラム教の聖典)が刻まれている

愛する妃を思い建てた美しい霊廟

美しい庭園の水路に映るタージ・マハル

タージ・マハルは、16世紀からインドを支配したムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、妻のムムターズの死を悼み建設した墓廟で、1632年から約22年の歳月をかけて完成させている。世界遺産に登録されたのは1983年だ。まず目に飛び込んできたドーム型屋根の曲線と、上へ伸びる尖塔の直線の調和が見事で、その完璧とも言える構成の美しさに引き寄せられる。4分割された正方形の庭園には水路が設けられ、その水面に映る白亜の宮殿のような優美な姿にしばし見とれてしまう。ガイドブックや旅行パンフレットに掲載されるタージ・マハルの写真は、ここからの眺めを写したものが多いのも瞬時に理解できる。後述のフマユーン廟の建築様式に影響を受けたというだけあり、全体のシルエットやシンメトリーな造りが、確かに似ていた。まだまだこの位置から眺めていたかったが、ガイドを待たせるわけにもいかず、渋々前へ進んだ。

タージ・マハルの庭園を囲む塀

手入れが行き届いた庭園を歩き、基壇への入口で靴を脱ぐか、靴の上から布のカバーをして内部へ入ると、中は薄暗く、ひんやりと涼しい。壁や天井の大理石の基盤には細かい彫刻が施され、世界中から集められたというサファイアや翡翠など数々の宝石がはめ込まれている。そこから、国を揺るがすほどの莫大な費用をかけたというその詳細が見てとれた。

大理石の質感などがわかる位置。人と比べた大きさもわかる

中央のホールには皇帝シャー・ジャハーンと妃ムムターズのレプリカの棺があるが(本物は地下にある)、ホールの真ん中に妃の棺、その脇に皇帝の棺が置かれていた。実はこの置き方に、皇帝の哀しい物語が秘められている。それは要約するとこんなストーリーだ。父親が建てたアグラ城に住んでいた若き皇帝シャー・ジャハーンは、一般市民の女性・ムムターズにひと目惚れし、やがて妃に迎え入れる。二人は仲睦まじく常に行動をともにし、子どもを14人もうけるが、14人目を出産後、妃は病にかかってしまう。あらゆる手を尽くして介抱した皇帝を残して、妃は亡くなるのだが、その遺言が、タージ・マハルの建設だった。このタージ・マハルとは、妃の名、ムムターズ・マハルから名付けられた。皇帝は妃を亡くした哀しみをタージ建設によって癒し、22年後ついに完成させた。やがて、精魂尽き果て病に倒れた皇帝は、息子たちの権力争いに巻き込まれ、亡くなるまで7年に渡ってアグラ城へ幽閉されてしまう。死後、妃の隣に眠ることを王位継承した息子に許され、皇帝の棺は、真ん中に置かれた妃の棺の横に寄り添うように置かれた。皮肉にもすべてをシンメトリーに造られた廟の中で、棺だけが、その均衡を崩しているのだという。

(上)タージ・マハルの東側にある迎賓館。訪れた当時は修復中で近づけなかった(右)タージ・マハル本体を守るように建つ4本のミナレット(尖塔)

この物語をガイドに聞きながら内部を眺めていると、豪華さや美しさだけでない真実の重みが加わり、より一層厳かな気持ちになる。この、皇帝と妃の貫かれた愛の物語が、多くの人々を魅了する理由のひとつなのだろう。

一歩外へ出ると、外はまぶしい陽が射していて、目も開けていられないほどだった。多くの人がそうしているように、ドームの周りを一周し、すぐ脇を流れるヤムナー川が望める見晴らしのいい日陰でひと休みした。この川の対岸には、皇帝のもうひとつの夢であった黒大理石を基調とした皇帝自身の霊廟が建つはずだったそうだ。しかし、こうして眺めるヤムナー川はとてものどかで、この場所で起きた歴史物語も、はるか遠い世界のもののように思えた。