好きでやっているはずが、いつのまにか仕事に

JR山手線の車両に設置された液晶ディスプレイで、Firefox 3のCMが流れていたのをご存知だろうか。Firefoxのトレードマークであるキツネがリングの上で飛び跳ねるこのCMを制作したのが、アーティスト集団「パンタグラフ」だ。雑誌の表紙や広告の世界で活躍し続けるパンタグラフのアトリエにお邪魔し、物作りにかける想いや「Firefox 3」のCM制作における裏話などを伺った。

横浜市内にある、パンタグラフのアトリエに伺った。工作のための機械、筆や塗料などが整然と並ぶ、まさに「制作」のためのスペースといった趣き。パンタグラフの代表である井上仁行氏は、パンタグラフのことを「手作りのクラフトを作品に落とし込んで、広告やメディアに提供する制作集団です。もともとは広告美術を中心に発注された通りに作るのが仕事でしたが、最近は、自分たちからアイディアを提案したり、企画展を行ったりということもできるようになってきました」と説明する。

左からパンタグラフ代表、井上仁行氏、吉竹伸介氏、江口拓人氏

パンタグラフの作品として代表的なのが、アーティスト「明和電機」に関連した作品、雑誌「ソトコト」や「日経パソコン」の表紙アートワーク、そして最近では「Firefox 3」の車内CMだ。どの作品にも共通して感じられるのが、手作りへのこだわりだ。

「こだわりと受け取っていただけるのはうれしいのですが、逆に言うとそれしかできないんです」と話す井上氏は、子供の頃から工作が得意で、高校卒業後は筑波大学の総合造形コースで現代美術を学んだ。卒業後は、レコード会社に普通に就職。しかし、「やはり制作をしたい、制作をするスペースが欲しい!」となり、何人かでお金を出し合って共同アトリエを設けたのが、パンタグラフのスタートだという。井上氏は「最初は仕事にするつもりはなかったんです」と当時を振り返った。

パンタグラフのメンバーのひとり、吉竹伸介氏が続ける。「井上がレコード会社で明和電機のマネージメントに携わっていたのですが、そのとき一緒にお仕事をしていたカメラマンさんが、広告代理店の方々などに"彼らにお願いすれば、何か作ってくれるかもしれないよ"と話をしてくださったんです。そこからいろいろ問い合わせをいただいて、広告美術に関わるようになったのですが、しばらくすると両立に限界を感じて、10年前に私も井上も仕事をやめたんです。」

社会に出てからも自分の制作を続けたい――そんな気持ちで始めた共同アトリエは、いつしか広告美術の制作現場へと変貌した。

明るいアトリエには工具や画材が整然と並べてある

シビアなオーダーに応えながら制作ノウハウを蓄積

「大企業の広告は、やはりオーダーがシビアな仕事です。最初は制作の時間配分もわからなくて手探りだったのですが、そのシビアな仕事をやっていくなかで、いろいろノウハウを蓄積することができました。自分たちの作品だけやっていたのでは、自分たちの引き出しでしかできないと思います。シビアだかこそ、ノウハウも溜まりました」

そして数年前から「アニメーションをやってみないか」というオーダーも入るようになり、制作体制を強化するために、大学の後輩にあたる江口拓人氏がパンタグラフに美術メンとして加入。手作りのクラフトを静止画として撮影するだけではなくアニメーションとして「動かす」ということが可能になった。

もちろん、アニメーションを制作するようになっても「手作りクラフト」という原則は失われていない。過去にパンタグラフが手がけた雑誌の表紙などを見ると、時としてCGっぽさを感じるものもあるが、それは「フィニッシュワークが2DCGによる合成のことがある」からだと井上氏は語る。

「CGっぽいって言われるのは、嬉しくないですね(笑)。世の中に存在しているものと思われるのが嬉しい」という井上氏。「CGっぽく見えると言われるのは、厳密に言うと失敗(笑)」と話す吉竹氏。そして「削りっぱなしの部分であるとか、手を動かした跡があるて程度残るようにしたい」という江口氏。3人とも、手作りへの強いこだわりがある。