2007年6月、1艇のカヌーが沖縄に着岸した。エンジンを持たず、海図やコンパスといった現代航海の必需品を積むこともなく、風と人の力だけでハワイからの5カ月1万3,000kmにわたる旅を終えたカヌー。その名を「ホクレア号」という。唯一の日本人女性クルーとして、ホクレア号とともに太平洋を渡った内野加奈子さんがこのほど、フリーペーパー『makana』が主催したトークセッション「Pacific」に登場した。お相手は、国際交流NGO ピースボートで船上企画や現地ツアーを担当する小野寺愛さん。「平和」「働きかける人」を意味するポリネシア語を語源に持つという「Pacific」をテーマに活動する二人の女性が語った、"ホクレア号が運ぶ世界観"をお伝えする。

横浜港に入港したホクレア号

ホクレア号が辿った道

ホクレア号から見た横浜港

ホクレアがもたらした伝統文化ルネッサンス

水平線から現れる星座や波、海鳥たちの行方……。ホクレア号は、そんな自然のサインだけを頼りに見えない島を目指すという、太平洋に浮かぶ島々に伝わっていた伝統航海術を現代に蘇らせたカヌーだ。太平洋に浮かぶ島々、というと、私たちはビーチリゾートを思い浮かべる。だがそれは、ほんのここ数十年の間のイメージに過ぎないようだ。

現代では、お金を出せば成田空港から一足飛びに行けるタヒチ、ニューカレドニア、そしてハワイでさえも、間に横たわる太平洋の広さを思えば、なぜそこに人が住み着くようになったのかさえ不思議な、絶海の孤島だ。自分たちの祖先はどのようにしてハワイに辿り着いたのか? ホクレア号は1976年、当時「偶然に漂着した」とされていた自分たちのルーツに、「意図を持って旅をしてきたのではないか、われわれの祖先は、太平洋の島々を自由に行き来できたのではないか」という疑問を抱いた3人のハワイアンの熱い探究心によって復元されたという。そして、欧米諸国による占領や併合という歴史の影で、ハワイを含むポリネシアでは何百年も息絶えていた伝統航海術を、ミクロネシアの師マウ・ピアイルグ氏に学び、同年、タヒチへの3,000kmの旅を成功させたのだ。

アジア圏から太平洋へ祖先がたどった道

ミクロネシア サタワル島の伝統航海術師マウ・ピアイルグ氏

祖先の叡智を証明したいという願いを込めた"考古学的な実験"の道具として、2つの胴に初めての波を受けたホクレア号。しかし、その処女航海の成功がもたらしたのは、単なる事実の証明だけではなかった。欧米による植民地政策の過程で不当な扱いを受け、誇りを失っていた先住民の人たちの間に、失われた古代の知恵に再び価値を見出す伝統文化ルネッサンスを巻き起こしたのだ。それから約30年の間に、ホクレア号が旅した太平洋の島々で、失われた知恵を取り戻す運動が広がっている。その距離は地球5周分近くにもなるという。

ホクレアが象徴する"もうひとつの日本"

そして、2007年。ホクレア号は、太平洋の北端に位置する島国、日本にやってきた。「太平洋の島々に伝統文化ルネッサンスを巻き起こしてきた象徴としてのホクレアが日本にも来る。これで日本も元気になるかもしれないと思って、それだけで大興奮でした。」という小野寺さんは続いて、ピースボートの旅で出会ったタヒチ先住民の長老、ガブリエル・ティティアラヒ氏の言葉を伝えた。小野寺氏が尊敬と親しみを込めてガビと呼ぶ男性。彼は、1800年代からフランス統治が続き、1963年以降はフランスによる核実験の場となっていたタヒチに生まれた。欧米に憧れをもって育ち、フランスに留学。そこで、それまでタヒチの平和を守るためだと教えられてきた「核」の爆発が、広島と長崎にもたらした悲劇を初めて知り、反核運動を開始。平和的アプローチで20年間で200回以上にわたって行われた核実験を終結させた人物だ。

ガブリエル・ティティアラヒ氏(手前)と小野寺さん(奥)

「私たちの活動の収入源が何かって?そりゃ、"月"だよ。大切なのは、バンクと呼ばれている四角い建物に収まっている紙じゃない。フェアトレードの商品になっているバニラ、ココナツ、土や食べ物、それに子どもたち。大切なものを育てているのは、月なんだ。金じゃない。」「太平洋民族、私たちの祖先は、そうやって大切な自然に向き合う文化をちゃんと築いていた。そして、日本も太平洋の島のひとつだということを忘れるな。君とわたしは、太平洋の文化を一緒に取り戻していく仲間なんだ」。小野寺氏が、先住民としてフランスから合法的に土地を買い戻す活動をするティティアラヒ氏に尊敬の念を伝えたとき、ティティアラヒ氏はそう答えたのだそう。

日本はGDPが世界第二位でありながら、穀物を世界で一番多く輸入している国であり、最先端テクノロジーの国でもある。子どもたちが初めて覚える外国の名前はおそらくアメリカで、米軍基地の多さや経済のあり方から「アメリカの51番目の州」などと言われることもあると小野寺さん。「西欧の一部」であり「アジアの一部」というような、私たちが無意識に持つ日本観とは違う、"太平洋に浮かぶ島"という日本観を持つ人が、タヒチにいるということに新鮮な驚きを覚える。

内野さんもまた、はるか彼方の水平線に浮かぶ島影として日本を見たとき、日本という国は海でつながれた島なのだ、と感じたという。「海から見る日本は本当に美しく、『君の故郷はこんなに美しいところだったのか』と呟いたハワイアンのクルーの視線の先には、瀬戸内の島々がありました」。ホクレア号は、「太平洋の北端に浮かぶ島国」という日本観を乗せてきたメッセンジャーのようだ。

ホクレア号から眺めた瀬戸内の島々

太平洋民族の祖先は、自然に寄り添い生きる力を持っていた

そして、ティティアラヒ氏が「(日本を含む)太平洋民族の祖先が築いてきた」と語る、「土や食べ物、子どもたちを育ててくれる大切な自然に向き合う文化」の存在に学ぶことも多い。今、これだけ地球環境の危機や貧困問題が叫ばれているにもかかわらず、私たちは、すぐさまCO2の排出や森林破壊・水質汚染などの問題を引き起こす人間活動をストップできない。その理由のひとつには、社会を動かしている資本主義が、「生活の場としての自然」や「自然と調和して生きる知恵」といった価値を評価するシステムになっていないからだ。そうして現代人間社会は、便利で快適な科学技術文明と引きかえに、"生活の場"としての自然や、限られた道具を使って自然を受け入れ、調和して生きる文化を失いつつある。

ホクレアに同乗した伝統航海術師ナイノア・トンプソン氏は内野さんに、「現代的な生活の中で使っていないだけで、人間には本来、いろいろなものを察知する感覚が備わっている。」と語ったという。その言葉どおり、内野氏は「伝統航海術の勉強ではレッスン1のレベル1で200を超える星の方位を覚えます。でもそれはほんの初めの一歩。後は、実際に海に出て自然に触れ、五感を使って学ぶしかない。そうして、波や魚、海鳥や風の行方などから、見えない島を見出す感覚が備わっていきます。」と、人間が本来持つ"自然と正面から向き合う力"を得た。風と人の力だけで大洋に浮かぶ点のような島にたどり着けるホクレア号は「自然と調和して生きる人間観」の象徴でもあるのだ。

風が止まり、鏡のように空を映す海。「サンセットで空が赤くなれば海もまた赤くなり、星もそのまま海に映る。魔法にかかったような美しい光景でした。でも、自然の美しさは、私たちのために繰り広げられているわけではない。今こうしている間にも、どこかの海では、誰のためにでもなくこんな景色が広がっているんです」と内野さん。「潮、波、雲、匂い、気温、魚や鳥の動き…海の上には航海のためのヒントがあふれている」とも。

さらには、「ひとつの地球に乗り合わせる地球人としての人間観」の象徴とも言えそうだ。内野さんは、「限られた水や食べ物を分け合って命を支えてもらうカヌーで上の生活は、特別なようでいて実は特別ではない。」と言う。ハワイには「カヌーは島、島はカヌー」という諺があるそう。カヌーは島の縮図で、島に上がると見えにくくなるだけで、本当は島も、そして地球も同じ。水や食べ物は限られていて、私たちはそれらを分け合って命を支えてもらっている。

ホクレア号というカヌーは、地球というカヌーに乗り合わせた私たちがどんな存在なのかを、そして、地球人として、日本人として、どこに向かうべきなのかを、伝えに来たのかもしれない。有限である自然を上手に分け合って使えなければ、人間は地球上で生き残っていけない。地球上のあちこちで噴出するさまざまな環境問題は、人間がサバイバルできるかどうかの岐路に立たされていることを教えている。命が輝き続ける未来のために、かつて太平洋の島々とそこで暮らす人々が持っていた自然と調和して生きる術を、取り戻す時なのではないだろうか。

トークイベントの締めくくりに、ヨットでの航海を計画中という男性から「外洋に出て行く心がまえは?」という質問が飛ぶと、内野さんはこんな言葉を会場に投げかけた。すばらしい言葉だったので、紹介したい。

「大切なのは、変えられないものを受け入れる心の静けさ、変えられるものを変える勇気、そして、その2つを見分ける知恵を持つこと」

先は見えず、正しい道を進んでいるという確信は自分の心の中にしかない。目を見開いて耳をすまし、取り巻く世界を読み解きながら前進し、時に舵を切る。大海原をゆくホクレア号の旅を人生になぞらえて、この言葉をかみしめたのは、私だけではなかったはずだ。