――『好き!すき!!魔女先生』の場合は、あらかじめ原作があったんですね。

「大阪の朝日放送が『女の子ものをやりたい』というので、先生のところに相談に行って、先生の『千の目先生』をもとにドラマ化したんだよね」

――『人造人間キカイダー』の場合は、どうだったんでしょう?

「あのころは『仮面ライダー』が30%を超えている中で、先生に怪人のデザインを描いてもらいに毎週行ってたわけだ。描いてもらいながら、『先生、今度はひとつ、ロボットかなんかで、涙っぽいやつはどうでしょうか』って言うと、先生も、『それいいね』なんて言いながら、サラサラっとね」

――例によって、どんどんお描きになるわけですね(笑)。

「あの赤と青と半分このキカイダーを描いてくださって、あっという間に、今度は黄色いサイドカーも描かれて、『先生、何ですか、これ』って言ったら、『いや、ラブロマンスだったら、パートナーがいるでしょ』と」

――そうですよね。

「『だったら、席を付けて、そこにミツ子さんとマサル君を乗せて旅をするんだよ』とか言いながら、どんどこできちゃうんだ。もう先生ね、良心回路がどうとかこうとか、『悪のほうはプロフェッサー・ギルといってね、悪魔の笛を吹くんだよ』なんて」

――マネージャーの方が『30分だけ』って言ってる間に……。

「さすがに30分は超えたかな。でも、1時間もしないうちにラフができた。ストーリーも僕の頭の中に入った」

――そして、翌日にはそれが仕上がってきたわけですね。

「そんなところで、NET(現・テレビ朝日)の宮崎慎一プロデューサーが、『"仮面ライダー"みたいなの、もうひとつないか』って言うから、さっそく見せると『いけるんじゃないか』(笑)」

――ずいぶんすんなりと決まったんですね(笑)。

「やっぱりね、石ノ森先生のイメージボードがね、すごい効力があるんだよね。『秘密戦隊ゴレンジャー』だって、あっという間に決まったしね。また、早いんだよね。作家の方によっては、描くのに1カ月ぐらいかかることもあるしね。だから、僕が数やれたのは、先生のおかげなんだよね」

――とにかく、作品の数が多いですね。

「先生と対談したことがあって、何を思ったのか先生が、『長い付き合いだけど、あなたと仕事の話はしてるけど、プライベートな話したことないね』って言うから、『そうですね、先生のプライベートなお話を聴きたいですよ』って」

――すると先生は……。

「『じゃ、どっかで1日、全部シャットアウトして、2人だけで温泉かなんかに泊まり込んで、しゃべる機会を作ろうか』っておっしゃって。『うれしいなあ』(笑)。暑い時期だったからね、涼しくなってからと思っているうちに入院してしまわれて……」

――お身体が悪かったんですか?

「『いやいや、検査入院だから、お見舞いとか、大げさにしないでください』って。そのうち、季節も変わって、年も越しちゃった。ホント、僕は心待ちにしてたんだよねえ」

――とうとうそのまま、98年の1月28日に、お亡くなりになったんですね。

「知り合いの新聞記者の方から電話をもらったんだけど、もうわんわん泣いちゃって。でも、憧れの石ノ森章太郎先生と一緒に仕事させていただいたっていうのは、僕にとって本当にラッキーだったね。もっとお姉さんのお話だとか、聴きたかったけどね(笑)」