国内外の優れたショートフィルムを紹介する映画祭『ショートショート フィルムフェスティバル & アジア』が今年で10周年目を迎える。その発起人であり、代表を務めているのは俳優の別所哲也だ。スタートした当初のスタッフは「仲間たち5、6人だけ」だったと振り返る別所。それが現在ではアジア最大級となり、グランプリ作品は米国アカデミー賞の短編部門にもノミネート選考対象になるまでに成長。さらに今回、オンライン部門も新設される。クリエイターでもなかった一俳優を、ここまで突き動かした源はなんなのだろうか。ショートフィルムへの熱き思いを大いに語ってもらった。

「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」の設立者である別所哲也氏。映画祭へかける思いや新たな試みについて話を伺った

米国滞在中に体験したショートフィルムの熱狂

――別所がショートフィルムに出会ったのは1997年の秋。休暇中に滞在していたアメリカで、友人に誘われて観に行ったのがきっかけだったという。

「出会ったときは衝撃。もともと、あんまり面白いものじゃないんだろう、学生の実験的なものじゃないかと、ショートフィルムに対して先入観があった。でも、観てみたら全然そんなことはない。面白い。なんでこんな偏見を持っていたんだろう。映画は長さじゃないな、ということをガツンと教えてくれた。自分が関わっている映画や演劇の世界が、もっと裾野が広くて、いろいろな可能性を持っていることをショートフィルムが教えてくれたんです」

――ミュージシャンでいえばデモテープ、画家でいうとデッサン。今、映像の世界でなにが起きているのか知るのであれば、ショートフィルムが一番だと知った別所。次第にのめりこんでいく。

「当時は僕自身が消耗していた時。なんでもスポンジのように吸収していた20代じゃなくて、その休暇をもらう直前は連続ドラマを2本掛け持ちしていたり、映画があったり、取材があったりして、こうして取材を受けても引き出しにはなにもない状態になっていた。遊ぶ時間も何もない。やっていることは仕事と仕事で出会った脚本の中身しかない。だからこそ最初にショートフィルムを見た3カ月間はとても有意義だった。自分が俳優になりたいと思ったときの最初の一歩というか、夢を追いかけている時の情熱を、ショートフィルムを作るクリエイターたちに感じ、共感を覚えたんです」

――なんとか支援したい。日本にも海外のようなショートフィルムの土壌を作りたいと動き出したという。

「でも、最初は友達とか、自分の業界の知り合いに見せる試写会。試写会という名の飲み会でもいいかな。まだ、映画祭の"え"の字もなかったんですが、運命といえば運命のような、背中を押された出来事があって。ショートフィルムに出会った翌年に、知り合いの友人が監督をした長編映画がサンダンス映画祭に入選したんです。僕もくっついて行ったんですけど、そこでもショートフィルムの上映会があった。

もう友人の映画そっちのけで毎日、観倒してたんです。そうしたらますます面白い。それにそこのコーヒーショップでベン・アフレックやクリスティーナ・リッチが、コーヒーをすすりながら映画の話をしているわけですよ。僕も話に加わって、今でこそ有名ですが、当時彼らは若手で『I'm Ben Affleck』と言われても『ふーん、誰だろう、この人?』とか思いながら(笑)。

こういうことがあって『あっ、映画祭って、人の垣根を外して、肩書きがなんであれ、偉いとか、お金持ちとか、無名だとか関係なく、見た映画を同じ土俵で、あれこれ語れる、楽しい場だな』って感じた。ショートフィルムって、映像の未来地図みたいなもの。学園祭のような暖かさと手作り感、だけれどもプロ意識を皆が持とうとしている。ショートフィルムの映画祭が日本にあったら面白いなと強く思ったんです」