日本の高度経済成長期に、全国を駆け巡るビジネスマンたちとともに東京~大阪間を走り続けてきたJR西日本の寝台急行「銀河」が、春のダイヤ改正(15日)で引退することになった。14日、東京発下り「銀河」の最後の出発となる東京駅10番ホームには、ファンや見物客であふれた。

寝台急行「銀河」最後の雄姿を撮影しようと集まったファン

「銀河」は1949年に東京・神戸間を結ぶ夜行列車として登場。以後、運転区間や車両構成を変えながら、約60年間、主に出張を目的としたビジネスマンたちに重宝された列車として存在し続けた。が、「JRが発足した1987年当時、銀河の乗車率は8割程度。しかし去年になると4割程度まで落ち込んでいた」(JR西日本広報部)というように、近年は、格安の深夜高速バスや宿泊設備、航空券の"早割"の影に隠れてしまっていた。

案内表示の前にもファンがちらほら

三ツ星がB寝台を表す。扉をくぐると、昭和のテイストいっぱいのノスタルジア空間が広がる

駅売店もこの尋常でない盛り上がりに便乗。鉄道グッズやブルトレミニチュアを大声で販売していた

そんな「銀河」も消えるとなると、ファンたちは年明けから注目しだした。3月に入ると、10番ホームには、撮影に訪れる人たちが乗客の数を上回っているのではと思うほどの盛り上がりを見せていた。そして14日、同ホームには入線前からファンでいっぱいとなり、ガードマンがホーム境界にロープを張る事態となった。この日、同ホームに駆けつけたファン・乗客は「2000人以上ではないか」と駅係員。ファンたちは別れを惜しむように「銀河」と名のつく駅のアイテムの全てをファインダーに収めていた。

24系客車の前には完全に立ち入りできない状態。「銀河」のヘッドマークを撮影したい人たちであふれる

ジャバラ型の扉が開き、客扱いが始まる。記念すべき"最後の1枚"を手にした乗客たちは、懐かしささえ覚える洗面台や、備え付けのスリッパ、浴衣などに触れ、早くも寝台列車の旅情を楽しんでいるようだ。「妻がトラベルミステリーのファンで、小説に登場する列車には特別の想いがあるというんです。最後だっていうんで、今回、家族で参加しました」と、ある家族連れの乗客。1人でお別れ乗車を楽しむ高校3年生の男性は「東京発のブルトレがまた無くなるのは寂しい。B寝台で初めて会う人たちとの触れ合いを楽しみたい。明日は京阪神と名古屋を観光して新幹線で帰ります」と残念そうだった。いつもの「銀河」と違い、スーツを着たサラリーマンの姿が見当たらず、明らかに記念乗車を目的とした乗客ばかりだった。

懐かしいコック式の蛇口を備える洗面台。ヤケドするほどの熱いお湯が出るが、このお湯でカップ麺などは食べられない。「飲めません」と書いてある

2段式ベッドを備えるB寝台。2階の乗客は必ず1階の客の前を通るので、ひと声かけてハシゴを登ることになる。そこに互いの触れ合いがあった

23時00分、下り「銀河」はいつもより長めの汽笛を一声し出発。10番ホームからはどこからともなく拍手が起こり、「さよなら」「万歳」という声が飛んだ。ゆっくりと大阪へ向けて発つ「銀河」を見送った2分後、ノスタルジーに浸る間もなく、すぐに快速「ムーンライトながら」のステンレス車両が入線してきた。

格安のバス、飛行機などに押される寝台列車。「銀河」も、最も低料金のB寝台利用で1万6070円。旅情をとるか、価格をとるか。後者をチョイスする人たちが一般的であることを「銀河」の最後が証明している。同じ時間帯、東京駅八重洲口バスターミナルは、関西方面の深夜高速バスに乗り込む乗客たちで盛況だった。ディズニーのお土産袋を持ったある10代の女性は、「寝台列車? そんなのあったんだ~」と返してきた。

八重洲口高速バス乗り場には乗客の列が。安さを売りにさまざまな客層から人気を得ている。金曜日ともあって関西方面のバスは「ほぼ満席状態」(バス係員)という

今回のダイヤ改正で九州方面への寝台特急「なは・あかつき」」(京都 - 熊本・長崎)も消滅。東西2つのブルートレインが姿を消すことになった。青い客車のブルートレインは、残すところ上野発の「北斗星」(上野 - 札幌)、「あけぼの」(上野 - 青森)、「北陸」(上野-金沢)、東京発の「はやぶさ・富士」(東京-熊本・大分)、大阪発の「日本海」(大阪-青森)の6本。これらブルートレインが、この先ずっと走り続ける保障はない。JR各社は民間の営利企業である。収益の上がらないサービスは消えていくという流れは止められないのだ。