慶應義塾大学SFC研究所(國領二郎所長)は22、23の両日、東京都港区の六本木ヒルズで「SFCオープンリサーチフォーラム」(以下ORF)を開催した。「toward eXtremes」(極限へ向かって)をメインテーマとし、ワークショップなどを多彩に展開。23日には同大学教授の國領所長、同大学専任講師の神成淳司氏に首都大学東京教授の宮台眞司氏を交え「ソーシャルデザインの思考」と題してのセッションが行われ、IT業界や昭和30年代ブームなど多彩な着眼点から、新たな社会構築への提言を行った。

SFCとは慶應義塾大学が1990年に創設した湘南藤沢キャンパスの略。特長である外部機関との共同研究やベンチャー支援の一環としてORFを年1回開催し、今年で12回目となる。六本木ヒルズ森タワーの40階フロアを舞台に、学生らは展示やデモンストレーションに工夫を凝らした。

セッション参加者。写真左から、慶應義塾大学環境情報学部専任講師 神成淳司氏、首都大学東京教授 宮台眞司氏、慶應義塾大学総合政策学部教授 國領二郎氏

エクストリームに対して過敏な社会

神成淳司氏

大勢の学生らが見守るなか始まった「ソーシャルデザインの思考」は、まずSFC1期生でもある神成氏が10年以上を経て今春、講師としてキャンパスに戻った感想として、学生の発言がほとんど予想の範疇であると指摘。「ITが進むほど社会がつまらなく、活気もなくなった」と口火を切った。

宮台氏は「おそらく社会が回るための条件が何なのかを自覚できていないからではないか」と主張。それを自覚できない限り、アーキテクチャー(情報環境)は適切なコンディショニングを行えないとした。

たとえば、「大人になる」とはどういうことか。宮台氏は「他のみんながどう感じるか、どう振る舞うかを想定できるようになること」と位置付け、IT化が進んだ結果、そういった想定ができなくなってきているという。かつては共通認識だった「前提」が細分化し、全ての人に当てはまるものとは言えなくなったのだ。

かつての学校で「しごき」「体罰」といった用語は否定的な意味をもたず、むしろ必然として存在した。それは長い時間をかけて、しごきなどが前提として認識されてきたからにほかならない。言い方を変えれば「前提があれば、エクストリーム(極限状況)は許される」となる。

宮台眞司氏

父親に怒られたかのように教師から怒られたとしても、以前は生徒に理不尽さがつきまとうことはなかった。現在はエクストリームに対し過敏な反応が多い。宮台氏も、共通前提がなくなったことを実感する機会が増しているという。

かつて大学教員の遅刻や二日酔いなどに対し、学生や大学自体が寛容だったことを懐かしみつつ、「今は5分遅れると授業料の返却を求められたり、ゼミで学生の発表に苦言を呈すると、事務方へ人権侵害などとクレームをつけられるような時代」と憂いた。