昨年7月に封切られるや、少ない上映館ながらじわじわと世間に浸透し、終わってみれば2006年を代表するアニメーション映画となった『時をかける少女』。だが、その公開時期は、『ゲド戦記』や『ブレイブストーリー』といった大作とぶつかる厳しいものだった。それをどう覆し、昨年度の映画賞を総なめにするまでに至ったのか。同作のプロデューサー、マッドハウスの齋藤優一郎氏と音楽プロデューサー・岡田こずえ氏に宣伝戦略を聞いたところ、それは実にシンプル極まりないものだった。

テレビとタイアップとか、大規模な宣伝戦略は眼中になかった


――映画公開に向けて最初に立てられた宣伝戦略は?

齋藤 : この作品は小さくても本当の輝きを持つ良品っていうことで「小品」っていう言い方をしているんですけど、300館での上映やテレビとのタイアップが必須であるとかみたいな考え方を作品作りのベースにはしていなかったんです。基本的には、良質な作品をきちんと作って、届けたい人たちに確実に届けたいというのがコンセプトだったんですね。とは言っても、上映館が初週6館、2週目から13館というのは色々な選択肢からの結果でしかなくて、最初はもう少し多い、60館くらいでやれれば、というところはありました。

――商売的には、より多くの人に観てもらいたいというのは、当然の欲求ですよね。

齋藤 : そうですね。でも先程もお話ししたように、"まずは良質な作品創り"と言うのが映画を制作していく上での根幹にあったので、先程申し上げたような上映館数でのスタートになった事や、その適性度というのは、本当に結果論なんです。宣伝方法も、こういう規模の作品ならではの進め方、見せ方、観客の皆さんへのお届けの仕方。同時期に上映されていた大型作品みたいなケースを逆手に取ったなんていうことは全然なくて、宣伝や配給に関しても作品作りと同様に、僕らが目指す作品の品質感みたいなものをどうすれば効果的に、伝えたい人達に伝えられるのか、ということに重きを置いていましたね。劇場に足を運んで頂ける観客の皆さんに作品をお届けするまでが作品創りなんです。確かに予算は本当に決して多くはなかった。でも作品同様、宣伝も前向き感に溢れていたんじゃないかなぁ? いや、でも必死でしたよ。本当に。全員「時かけ」チーム、いっけー!!って感じですもん。

音楽プロデューサー岡田こずえ氏(左)とプロデューサー齋藤優一朗氏(右)

ほかの作品が、番組宣伝を含めて非常に派手にパブリシティをしていくなかで、僕らとしては、作品の中身、細田監督が考えている事、伝えたい事、『時かけ』を僕らと一緒に楽しまない? みたいな事をどう発信するかっていうことを真剣に考えた。そこには、予算や人などいろんな要因があったことは確かなのですが、日々僕らがどういう風なことをしながら、考えながら作品を作っているのかっていうことを知ってもらいたかった。そこで、観客の皆さんとの公開前の、そして見て頂いた皆さんとのキャッチボールを日報やお便りじゃないんだけど、一体感みたいなものをブログで伝えようと。ほかの映画のホームページにもブログは結構ありますけど、ほんとうにそう言ったブログ? って総じて言っちゃうんだけど、本編を観る事以外での観客の皆さんと作品とのコミュニケーションみたいなもの。そんな時かけブログを書き始めたのが2006年の6月くらいですね。

――ブログの執筆者も、「ブログの人」として有名になりましたよね。

ブログの人 : 上映館数の話をすると、60館でやろうと思ったら、9月まで待てばできたわけですよ。

――ところが、それをしなかった。

齋藤 : まあ、いろんな選択肢の中からなんですが、昨年の7月の頭には『ブレイブストーリー』が、月末には『ゲド戦記』が公開される、その真ん中でしたからね。

岡田 : 公開日を決めるっていうのは、映画にとっては清水の舞台から飛び降りるようなことなんですよ。どういうことかというと、映画って興行じゃないですか。お客さんが来てくれなかったらば打ち切られちゃうんですよ。お客さんを劇場に呼ぶためにはどうすればいいかということを考えなければいけない。だから、映画を公開するときは対抗馬になりそうなものが何月何日公開なのか、ほかのラインナップはどうなのかを全部リサーチするんです。この作品にもっとも相応しい公開日はいつだろうかっていうことを考えたときに、ひとしきり夏の作品が終わってから秋に中規模の映画として公開するのか、大変になるけど夏に公開するかという選択肢が出てきたときに、やっぱり劇中の入道雲は夏に見せたいって。

斉藤 : 観終わった後に、まさしくテアトル新宿での初日がそうでしたが、「映画館を出たら真っ青な夏空が広がっていて、それを見るところまでが今回の『時かけ』だよね。映画だよね」というふうに考えたんです。

象徴的な"青"空