【レポート】

Pervasive 2004から見えてくるユビキタスの未来像

4 2015年の未来に向けて~その方法論2

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データベースとアプリケーション

記憶をたどる作業の理想的なゴールのひとつは、「あのときのアレがさ」という程度の曖昧な情報から、瞬時にその実体にアクセスできることだろう。この場合、どのようにデータベースを構築し、どのようにアプリケーションを作っていくのか、というところは、かなり未知数である。いったいそのときのどれを検索のキーとして使っているのか、それ以外の情報を無視するためのアルゴリズムはどうなのか、などを考え始めるとかなり奥深いことになってくる。

これまでに人間の記憶を引き出すためのキーとして、「時間」「場所」「人」「モノ」などが有効であるということはわかってきている。

「いつごろ」のことなのか、「どこであったことなのか」「誰と体験したことなのか」などをキーとして記憶をたどることはよくある。これと同じように、情報のなかで有効と考えられているものによってデータベースを構築していけば、情報にアクセスすることは容易になるだろうと考えられる。

記録できる情報も限定されている。たとえば現時点では、においなどを効率的に記録する方法はなく、動画、写真、GPSによる位置情報、温度、体温や脳波などの生体情報などが収集の対象となる。

自動構築するデータベースとタグづけ

問題なのは、そのデータベースのためのタグを、誰が入力し保守するのか、ということである。

検索系ではMPEG-7などが動画検索の方法として考えられているが、結果として情報が入っていれば検索がたやすいのはあたりまえであって、問題はどうやって適切な情報を入力するのか、ひいては、その情報をどう評価したのか、というところに尽きる。

データ形式がMPEG-7かXMLかなどということはさまつな問題であって、どう情報を評価するのかというところが問題なのだ。もちろん手動での入力は論外である。

画像解析はおくとして、方法論として考えられるのは、ICタグやGPS情報との重ね合わせだろう。

あらかじめタグに含まれた情報を収集して記録していくようにする、などの方法が考えられる。機械的に情報を収集した場合の注意点は、記録単位がミクロになればなるほど、人間が直感的に理解できる範囲を超え、それを再生するのには、専用のブラウザが必要になるということである。

具体的にいえば、たとえばマウスの動きを1ピクセル単位で記録した場合、人間はその数値情報を見ても理解できない。緯度経度情報なども同じだ。では大まかでよいのか、というとそういうこともない。緯度経度情報によって、ある建物のなかにいるかどうかがわかったとしても、もっと細かな部屋単位での入退出が必要なこともある。そのときの情報に応じた精細度が必要なのだ。

画像認識

遠い将来に期待される技術としては、画像を解析して認識することが挙げられる。

現在でも、画像のうちごく一部、たとえばひとの顔や指紋などを認証することは可能になってきている。色や形の似ているものも、それなりに認識できるようだ。それでも、世界のすべてを認識できるわけではない。

記録を記憶に昇華する技術

画像、音声、動画などの記録した情報が増え、自在に操れるようになったとき、その記録をどうやって追体験して「記憶」にしていくのか、ということは、記録方法以上に重要な問題である。

「DNAもまた自己保存のためのプログラムに過ぎない。…生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。種としての生命は遺伝子という記憶システムを持ち、人間はただ記憶によって個人たり得る。たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ…。コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」(『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』 1995 押井守)

『イノセンス』に先立つ1995年の作品で押井守監督が予言したとおり、記憶の外部化は順調に進んでいる。幸いにして、まだわれわれは外部から入ってきた記録を自分の記憶と取り違えたと意識する機会にはさほど恵まれていない。

さほど、と書いたのは、もちろん、「外部から入ってきた記録」が、記憶にすり変わってしまう瞬間というのは、今後記録の品質が向上し、それを容易にアクセスできるようになれば、ますます増えていくだろうからだ。

事実、筆者自身は、それが微妙に交錯する瞬間を少なからず体験している。自分が書いたとは思えないものを自分が書いたと感じ、自分が見たことがないものを自分が見たと感じるようになってきている。あるいは、自分が書いたことを自分が書いたとは思えないようなときさえある。

「機械仕掛け」に頼らず、自分のなかに沈殿したことがらを追憶のなかからすくいとることが自分の記憶なのだ、と考える人もいる。記憶は神聖であって、機械仕掛けとはなじまないと考える人もいる。体験じたいを十全に味わうためには、カメラで撮影するような不純物が介入してくることは望ましくない、という考えもある。立場によって記憶がどう変わるのかは、なんとも難しい問題だ。ただわかっていることは、テクノロジーは記憶を変貌するだろう、かつてない規模で、かつてない速度で。
「疑似体験も夢も、存在する情報は全て現実であり、そして幻なんだ。…どっちにせよ、一人の人間が一生のうちに触れる情報なんて僅かなもんさ」(同)。

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インデックス

目次
(1) ユビキタスコンピューティングの時代に向けて
(2) 「記憶と体験共有」ワークショップ
(3) 2015年の未来に向けて~その方法論1
(4) 2015年の未来に向けて~その方法論2
(5) ウェアラブル機器による写真とインデックス付けとデジタルフォトブラウザ
(6) 「Remembrance Home(記憶する住宅)」、世界デビュー
(7) タンジブル・ビッツの原点はそろばん
(8) 知識の蓄積とユビキタス・ハンガー
(9) 遅れて写る鏡と小さく作る日本人

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