【レポート】

エベレスト望むネパールのIT発進

1 ソビエト崩壊の衝撃を糧に

    湯木進悟  [2004/01/01]
    エベレスト周辺のヒマラヤ山脈

    標高8,848メートル、この地球上で最も高いエベレスト(チョモランマ)への玄関口となるネパール。他にも8,000メートル級のヒマラヤの山々を国土に有し、世界自然遺産に指定されたエベレスト国立公園およびロイヤルチトワン国立公園を始めとする名所には、毎年世界中から観光客が押し寄せる。

    空路、ネパールの首都カトマンズへ向かうと、雲の上から遠くヒマラヤの雄大な景色を眺めていたのが、高度を下げるにつれて、突如として土色の山肌を覆うようにびっしりと並ぶ、カラフルなレンガ造りの建物に目を奪われる。まるで中世へとタイムスリップしたかのような、とりわけ乾期は埃にまみれた街の姿。そう、この土地は、世界文化遺産となる数々の歴史的建造物もさることながら、まるで街全体が古き良き時代を思わせる、ゆっくりと時間の流れる博物館の様相を呈してもいるのである。

    テンプーと呼ばれるオート三輪車が走り回る路上には、ゆっくりと牛がたたずんでいたりする。ヒンズー教で崇められているため、バスもテンプーも、静かに牛を避けながら通り過ぎる。ヤギや鶏、豚の類いは珍しくなく、象が道を歩いていることだってある。

    ここにはITと無縁の世界が広がっているのだろうか? 到着後、ほとんどだれもがまずそんな気持ちにさせられるものの、それはすぐ過ちであることを知らされる。よく見てみると、日本の公衆電話の感覚で、あちこちにインターネットカフェが目立って存在していることに気付く。中には店内にワイヤレスLANを整備し、ブロードバンド接続できる店まであり、朝早くから夜遅くまで、いつも利用客で賑わっている。

    さらに詳しく覗いてみると、ネパール語のGoogle検索サイトが用意され、独特のデバナガリ文字でインターネットを楽しめる環境まで充実している。リアルタイムにネパール最新ニュースを入手し、映画館やホテルの予約もオンラインで完了。最近は、ちょっとしたビジネスの展開にホームページの開設は欠かせない。若者たちなら初対面で、まずはメールアドレスとインスタントメッセンジャーIDを交換なんてケースも一般的だ。

    ここ1年で最も進展したネパールのIT事情を挙げるとすれば、携帯電話サービスの向上がある。国営のNepal Telecommunicationsにより、GSMネットワークの携帯電話を全国で利用できるものの、1万ルピー(平均月収の約2倍となる値段)という高額の初期費用がネックとなり、それほど普及していなかった。しかしながら、初期費用が5,000ルピーに引き下げられて、最近では初期費用不要のプリペイド携帯電話サービスまでスタートし、利用者数は一気に急増。通話料金も値下げされ、携帯電話でメールを楽しむ姿が街中で見受けられる。

    先日、国際連合(国連)は、加盟各国の電子政府調査レポート「World Public Sector Report 2003: E-Government at the Crossroads」を発表した。インターネット上で何らかの行政サービスを提供している国は、加盟国全体の91%にも上り、もちろんここネパールも例外ではない。外国人向けには、観光局となるNepal Tourism Boardが、英語/フランス語/ドイツ語/日本語/中国語にてオンラインサービスを提供中。動画でネパールの観光情報が流され、スクリーンセーバーまで入手できたりする。同局の作成したネパールの紹介プログラム収録CD-ROMは、アジア太平洋観光協会(PATA)により、CD-ROM部門の金賞に選ばれている。

    こうして、次々と世界から押し寄せるIT発展の波に乗り、先進国に追い付くべく、ここ数年で長足の進歩を遂げてきた観もあるネパールだが、このままひたすら外国の影響力に身をまかせ、ただ社会を形作られるままにしてしまってよいものか? ふと足を止め、そう深い疑問を投げかけた人物がいる。2003年、Association of Computer Engineers of Nepal(ACEN)という組織を立ち上げたSubarna Shakya博士である。

    今回のレポートでは、同博士へのインタビューを通し、ネパールが理想とするIT発展像の一面を紹介してみたい。

    ○旧ソビエト連邦の崩壊に目を開かれる

    現在、Shakya博士は、Tribhuvan国立大学のInstitute Of Engineering(IOE)にて、Electronics and Computer Engineering学部の学長を務めている。ネパールでコンピュータ工学の博士号を取得した第一人者となる同博士は、これまで主に大学教育を通して、国内のIT発展に尽力してきた。

    Institute Of Engineering
    Subarna Shakya博士

    同博士は、1990年にネパールを離れ、旧ソビエト連邦のUkraine State Universityにて、コンピュータ工学を学んだ。今でこそネパールの社会も大きく開かれ、先進国を追う勢いで発展を遂げたりしているものの、当時の国内は、コンピュータ関連の技術に触れることすら皆無といった状況だった。留学先のソビエト連邦の技術力には、ただただ目を見張るばかりだったという。

    ソビエト連邦、現在のロシアと聞くと、すぐにはIT発展と結び付かないかもしれない。しかしながら、それはまだ日本で認知度が低いだけで、米国と熾烈な宇宙開発競争まで演じたこの国には、当然のこととして高い技術力が息づいている。実際、欧米ではロシア企業の展開する高度なビジネスが広く認められており、技術交流も非常に盛んだ。

    亜熱帯性の気候に恵まれたネパールから、真冬は零下25度にまで気温が下がるソビエト連邦の地へ……この生活環境の変化は、Shakya博士にとって、かなりの苦労を強いられる経験だったという。ダルバートというネパールの毎日の食事を後にし、さらに、ヒンズー教のカースト制度の影響で、家族親戚が強い絆で結ばれて共に生活を送る習慣がある故郷を旅立ち、遠くソビエト連邦にたどり着く。チヤと呼ばれる甘いミルクティーを飲みながら楽しく談笑し、優雅に日々の時間が流れるネパールから、気候も文化も異なり、主に規律を重んじるソビエト連邦の国民性に接するのは、幾らか寂しい思いもあったそうだ。

    そして、まだ異国のソビエト連邦での生活にも慣れないまま、さらなる衝撃に襲われることになる。1991年、突如としてソビエト連邦は崩壊。経済は大混乱し、人々の生活は窮地に陥っていく。昨日まで当然のごとく使えたお金が、貨幣価値の急落によって、何の役にも立たなくなる。日々の食事すら手に入らない状況が、かなりの期間にわたって続いたという。

    政治的、経済的な激変を目の当たりにしつつも、Shakya博士は、ある事実に気付かされる。もちろん、社会的な変化のインパクトはかなり大きかったものの、それでもこの市民の落ち着きぶりは何であろうか? わずか半年も経たないうちに、同博士の印象としては、急速に新たな経済社会が発展して動き出し、一時的な大混乱は影を潜めて、人々の生活には平穏が戻ってきたという。

    もしも同じような激変が母国ネパールを襲ったとすれば、どのように人々は反応するであろうか? これほど早い立ち直り、そして新経済の発展など見られるだろうか? こう繰り返し自問しつつ、Shakya博士は、ソビエト連邦とネパールの、ある重大な違いに目を開かされる。崩壊はしたものの、共産主義政権の下で、かなりしっかりとした教育制度がソビエト連邦には整っていた。その恩恵で高い教育を受けた国民が多かったからこそ、混迷した事態にも冷静に対応して乗り越え、社会の構造を安定させることができたのではないか? 教育レベルの高い人がそろえばそろうほど、経済を発展させる基礎が据えられるのではなかろうか?

    王宮での授賞式典(2000年)
    ロシアでコンピュータ工学の修士号および博士号を取得した後、Shakya博士はネパールへと帰国する。教育こそが母国発展の礎に……この思いからネパールのIT発展に尽力する同博士の働きは、ネパール国王によっても認められて、2000年には首都カトマンズの王宮で勲章を授けられている。

    しかしながら、世の流れは無情にも、ソビエト崩壊に面して決意したShakya博士の思いとは裏腹に進んでいくことにもなるのである。

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