鉄道貨物はコンテナ輸送が中心で、何を運んでいるかひと目ではわかりにくい。宅配会社のコンテナは私たちが利用する宅配便をまとめて載せているんだなと思う程度だ。石油タンク車や鉱石輸送車は独特の形をしているので、積み荷がひと目でわかる。単一サービス専用の貨物列車においては、北海道のタマネギ輸送列車が季節の風物詩としてニュースになる。佐川急便と提携した貨物電車「スーパーレールカーゴ」、トヨタ自動車の部品輸送列車なども一般に知られるようになった。

しかし、貨物列車か運ぶものは製品や商品だけではない。一般ゴミや建設残土などの不要品も運んでいる。その中でも20年以上の歴史を持つ列車が「クリーンかわさき号」。なんと、一般家庭から出るゴミを集めて専用コンテナに積み、貨物列車に載せてゴミ処理施設へ輸送している。もちろん家庭から貨物駅まで、貨物駅からゴミ処理施設まではトラックで運んでいる。しかし、川崎市北西部と川崎市南東部の駅間、約23kmは「クリーンかわさき号」が運ぶ。平日は毎日1往復運行されている。定期的な家庭ゴミ輸送は日本初、全国で川崎市だけだという。

  • 「クリーンかわさき号」のルート(国土地理院地図を加工)

川崎市北西部の家庭ゴミは、「パッカー車」と呼ばれる清掃事業トラックで回収される。パッカー車は王禅寺処理センター、橘処理センターに運ばれる。ここで処理しきれない普通ゴミがゴミ専用の鉄道コンテナに積み替えられる。各処理センターでゴミを焼却したときに発生した焼却灰も専用のコンテナに詰められる。粗大ゴミは初めからトラックにゴミコンテナを載せて回収される。これらのコンテナは梶ヶ谷貨物ターミナル駅に搬入され、貨物列車「クリーンかわさき号」に積み込まれる。

「クリーンかわさき号」は夕刻に梶ヶ谷貨物ターミナル駅を出発し、武蔵野貨物線(武蔵野南線)などを走行して川崎貨物駅に到着。ここで空き瓶・缶・ペットボトルを載せた貨車を切り離す。一般ゴミ・粗大ゴミ・焼却灰を載せた貨車は、ここから神奈川臨海鉄道浮島線に進み、末広町駅に着く。梶ヶ谷貨物ターミナル駅から末広町駅までの所要時間は約1時間となる。

翌朝、川崎貨物駅と末広町駅にあるゴミコンテナはトラックに積み替えられる。川崎貨物駅の空き瓶・缶・ペットボトルは、3km離れた南部リサイクルセンターで再資源化。末広町駅の一般ゴミと粗大ゴミは2km離れた浮島処理センターへ。焼却灰は3km離れた浮島埋立処分場へ。これでゴミ処分はすべて完了。空のコンテナは翌朝の回送列車(返空便)で梶ヶ谷貨物ターミナル駅に戻される。列車は平日の毎日走るけれど、コンテナは3日サイクルで運用されている。

なぜ川崎市は鉄道でゴミを運ぼうと考えたか。国土交通省と川崎市の資料によると、きっかけは川崎市が1990年に発した「ごみ非常事態宣言」だった。当時、川崎市の人口は約118万人で、1985年から毎年5%の増加となっていた。人口が増えればゴミも増える。

ここで川崎市について補足しよう。川崎というと、川崎駅周辺や京浜工業地帯など、海に近い地域をイメージする人が多いかもしれない。しかし、実際には南東の臨海部から北西の内陸部まで、約30kmの細長いエリアとなっている。人口が急増しているエリアは市の北西部で、多摩ニュータウンに近い。京王相模原線や小田急小田原線・多摩線、東急田園都市線が横切り、タテ糸のようにJR南武線が貫いている。つまり、川崎市臨海部とは異なり、東京都心のベッドタウンとして急成長した。

人口が増えれば付近にゴミ処理場を新設するか、既存のゴミ処理場を拡張したい。しかし、住宅地として発展したため、ゴミ処理場の拡大に抵抗があった。その上、既存のゴミ処理施設は施設が老朽化していた。プラスチック系のゴミも増加し、焼却すると高温になる。その温度に耐えられる施設も少なかった。川崎市北部には2カ所の施設があり、当初は1日あたり1,050トン処理できた。その処理能力が700トンまで低下した。

一方、人口が密集している南東部には、工業地帯に新たなゴミ処理施設として、1995年に「浮島処理センター」が誕生する。1日あたり900トンの処理能力があり、余力もあった。そこで、北西部で発生したゴミを南東部の最新型施設で処理しようとなった。ただし、細長い川崎市を縦貫する道路は少なく、車線も少ない。大量のゴミトラックを走らせれば渋滞を招く。排気ガスも膨大だ。そこで鉄道によるゴミ輸送が発案された。

ゴミ輸送のために、臭気や塵が漏れない工夫を施した専用コンテナが開発された。一般ゴミ用コンテナは20ftサイズのUM13A形、焼却灰用コンテナは20ftサイズのUM11A形、粗大ゴミやプラスチックゴミ用として12ftサイズのUM8A形がある。ゴミ用コンテナは、ゴミ搭載時にシリアルナンバー付きの封印環が取り付けられ、厳重に管理されている。

「クリーンかわさき号」の成功と、新開発のコンテナをもとに、JR貨物は廃棄物輸送(静脈物流)分野を積極的に展開している。JR貨物のウェブサイトによると、廃油・汚泥類、医療系廃棄物、ベール状廃プラスチック、建設土砂輸送など多岐にわたるそうだ。

川崎市とJR貨物の静脈物流は災害時にも活躍した。2007年の新潟県中越沖地震では、柏崎市の震災ゴミが大量発生し、柏崎市の処理センターも被災した。そこで川崎市が一部の粗大ゴミを受け入れ、鉄道貨物で輸送した。東日本大震災のがれき輸送も鉄道貨物で実施。川崎市のコンテナだけでなく、新たに震災がれき輸送用のコンテナが製造された。これらのコンテナは熊本地震のがれき輸送にも活躍した。川崎市と大書され、イメージキャラクター「キレイクン」「かわるん」が描かれた白いコンテナが被災地で活躍した。

また、焼却灰輸送の実績から、リニア中央新幹線のトンネル残土の輸送も始まっている。こちらも梶ヶ谷貨物ターミナル駅から積み込まれ、1日3便が設定されている。