先日、久々にサッカーJリーグの試合をスタジアムで観戦した。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、観客は5,000人上限で、両隣はもちろん、1列ごとに空けて座るソーシャルディスタンス仕様。真夏の客席でのマスク着用は汗で蒸れたが、よく冷えたコーラ片手にピッチを眺めながら、10数年前はよく日本代表戦を観に行っていたことをふと思い出す。当時、テレビ朝日サッカー日本代表応援団長を務めていたのが香取慎吾だった。

香取慎吾

気が付けば、我々の日常にいたシンゴちゃん現象。恐らく、香取慎吾が嫌いという人はほとんどいないのではないだろうか? 日本に住んでいたら誰もが知っている元SMAPの最年少メンバーは、あの頃、“国民の弟”のような立ち位置だった気がする。「慎吾ママのおはロック」で「おっはー」が流行語大賞を受賞したり、『西遊記』の孫悟空や『こち亀』で両津勘吉に扮する一方で、十代の頃から『未成年』や『ドク』といったテレビドラマの演技で高い評価も得ていた。

ちびっ子向け番組から、大人のエンタメにも対応し、若者向けのドラマやバラエティまでこなす万能タレントで、20年以上に渡り国民的アイドルとして活躍。こうあらためて文字にすると、本当にすごい才能だ。なのに、年下でまったく面識がない自分でも、なぜか「シンゴちゃん」なんつって呼びたくなる親しみやすさを併せ持つ。そんな底知れぬ男、香取慎吾が主演した映画が『凪待ち』(2019年公開)だ。

■白石和彌が監督を務めた『凪待ち』

白石和彌監督

監督を務める今の日本映画界のエースと言っても過言ではない白石和彌が、加藤正人のオリジナル脚本を映画化。印刷所をリストラされたギャンブル狂の木野本郁男(香取慎吾)が、恋人・亜弓(西田尚美)とその娘・美波(恒松祐里)とともに、石巻で漁師を続ける亜弓の父・勝美(吉澤健)のもとへ帰るところから物語は動き出す。

基本的に田舎町は人間関係が近い。末期ガンで死期が迫る勝美の身の回りの世話を焼くナチュラルに馴れ馴れしい近所の小野寺(リリー・フランキー)、初めて行ったスナックで遭遇したプライベートに遠慮なく踏み込んでくるおっさん(音尾琢真)は亜弓の元旦那だ。郁男の再就職先は印刷工場に決まり、亜弓は美容院を開業、新しい日常が始まるかに思えた矢先、なんと亜弓が何者かに殺害されてしまう……。

この映画の重要なピースが、ギャンブルだ。郁男は競輪好きを越えて、ほとんど競輪依存症である。冒頭の川崎の競輪場のシーンは最高だ。白石作品の『日本で一番悪い奴ら』の夜の街もそうだったが、とにかくノイジーで、埃っぽく渇いていて生々しい。汚れちまった悲しみと、そんな空間が悲しいくらい似合っちゃう男と女。

■香取慎吾が演じる“40代の無精髭姿の中年男”

香取慎吾

注目すべきは本作の香取慎吾は、演じる際にメイクをせずにカメラの前に立っている。そこにいるのはキラキラしたアイドルではなく、白石ワールドでのたうち回る40代の無精髭姿の中年男だ。

時に彼女のへそくりにまで手を出して競輪のノミ屋でカネを溶かし、すぐ自暴自棄になり酒を飲んでケンカをする。かと思えば、仕事は意外とできて職場でイジメられている同僚をかばったり、彼女の娘・美波に信頼されなつかれたりする一面もある。救いようのない最低のヤツだと思うときもあれば、生き方が不器用なだけと擁護したくなる男を、香取慎吾が文字通り剥き出しで演じている。

故・ジャイアント馬場は、プロレスラーにとってリング上で映える体のサイズはなによりも大きな説得力を持つと何かのインタビューで答えていたが、映画のスクリーン上でも体の大きさは武器になる。香取慎吾の持つ獰猛な肉体性と童顔は郁男のアンバランスさの象徴でもあり、夏祭りのケンカシーンやヤクザとの乱闘で大きな説得力を持つ。

人は己の過去から完全に逃れることはできない。引っ越しても、転職しても、今度こそ上手くやれそうでも、土壇場で過去が何食わぬ顔で日常に顔を出す。漁師を続ける父・勝美にとって最愛の妻を亡くした震災が逃れられない過去かもしれない。郁男にとってそれはズブズブにハマる競輪だし、香取慎吾本人にとってはそれがあの輝かしいアイドル時代なのかもしれない。

40歳を過ぎた大人になり、新しいスタートを切ったつもりでも、世間からは国民的アイドル元SMAPというフィルターを通して見られてしまうことも多々あるだろう。過去が自分を追ってくる。ちきしょう、なんて俺はダメなヤツなんだ。自己嫌悪に襲われ、すべてから逃げ出したくなるが、それでも不様にあがきながら前へ進んでいく。『凪待ち』はそんな映画だ。

公式パンフレットで香取慎吾は、この映画について「郁男の再生の物語」だと語っている。

「僕も、とっても華やかな世界で子供の頃からお仕事させてもらってきましたけど、再生しなきゃいけないような時期もあって。誰でも、人生において落ちている時間はあると思うんですよ。でもそこからでも、這い上がらなければいけない」

■【ソロシネマイレージ 83点】
公開時の宣伝コピー「誰が殺したのか?」って序盤でほとんどの観客は犯人に気付いちゃうよ、逮捕理由が防犯カメラに映っていたってさすがに刑事の仕事遅すぎ……と突っ込みどころも多々あるものの、やっぱり吉澤健(『その男、凶暴につき』の新開役!)はとんでもなく素晴らしく、郁男の印刷所時代の元同僚・渡辺健治を演じる宮崎吐夢が鈍く重い光を放つ名演を見せている。

『凪待ち』
2018年6月~7月に石巻市を中心に撮影された本作は、人生どん底まで墜ちきった男のバイオレンスと狂気、怒りと裏切り、不条理と悲劇、そして、切ない暴力を描いた衝撃のヒューマンサスペンス。あるきっかけをもとに墜ちる所まで堕ちきった男・郁男を香取慎吾が演じた。
Amazonプライム・ビデオ(レンタル 399円)ほかで視聴可能(2020年8月14日時点)。