9月2日、「東京急行電鉄株式会社」は商号(会社名)を「東急株式会社」に変更した。親会社は「東急電鉄」から「東急」になり、今後は鉄軌道事業の会社が新たに「東急電鉄株式会社」を名乗る。蛇足ながら、同社の路線には軌道線の世田谷線があるため、「鉄道事業」ではなく「鉄軌道事業」と呼ばれる。

  • 東急目黒線で試運転を行う新型車両3020系。今秋の導入を予定している

商号は変わったけれど、現在はまだ東急本体に鉄道事業本部(軌道事業も含む)があり、新・東急電鉄は分社化の準備中。新たに創設される人事・経理・総務部門などの構築が行われている。鉄軌道事業の分社化は10月1日を予定し、これに合わせて新・東急電鉄の本社事業所は東急本社のある渋谷区南平台町から渋谷区神泉町に移転する。

新・東急電鉄の本社最寄り駅が渋谷駅ではなく、京王井の頭線の神泉駅のほうが近いところは興味深い。最寄りとなる東急バスの停留所は「大坂上」または「道玄坂上」だけど、少し離れている。東急線の駅に早くアクセスできたほうが良いはずではないか。もしかしたら、ここは仮住まいで、いずれ東急線沿線の郊外、あるいは路線網の中心の駅へ移転するかもしれない。

東急の分社化は、経済ニュースの観点から大企業の経営戦略、成長戦略の一環と扱われるけれど、鉄道ファンとしては分社化された後の新・東急電鉄がどうなるか、気になるところだ。今後、消費税率引上げによる旅客運賃の改定、目黒線への新型車両(3020系)導入などが予定されているけれど、いまのところどの路線も大きな変化は感じられない。普段と同じ時刻の電車に乗り、運賃も同じ。駅や車両の姿も同じに見える。

細かいところで言えば、コーポレートマークが少し変わる。駅名看板や電車の側面に描かれた、楕円形の赤いマークだ。これまで赤いマークの上に「TOKYU CORPORATION」とあり、商号変更後の東急は「TOKYU CORPORATION」のままだけど、分社化した後の新・東急電鉄は「TOKYU RAILWAYS」に変更されている。

東急グループの会社案内によると、このマークの中央の楕円は地球を表し、内部白抜き部分は「TOKYU」の「T」を図案化したという。経営、組織の結びつきを示す三角錐体論の象徴でもある。その下にある3本の弧は、楕円とともに東急グループ成立当時の4事業部門「交通」「開発」「流通」「健康産業」を示す。どれが楕円でどれが線かは定まっていない。掲げた企業の事業テーマが楕円で、それを他の3事業が支えるという意味だろう。

グループ会社によってマークの色も変えている。たとえば東急建設は緑色、上田交通はオレンジ。一方、新・東急電鉄は従来の赤を継承している。東急本体と同じ色だから、強固な結びつきを象徴するといえそうだ。

■鉄軌道事業の分社化で意思決定が早くなる

東急グループは鉄道と不動産の連携で成長した企業群である。未開発の地に鉄道を敷き、郊外の沿線で住宅開発を行う。駅ができれば地価が上がり、不動産業にとって儲けとなるし、沿線住民が増えれば鉄道利用者も増え、きっぷや定期券などが売れる。通勤時間帯の下り列車が空いていたから、郊外に学校を誘致し、通学客を増やすこともできる。休日の鉄道利用を増やすため、都心に百貨店、郊外に遊園地を建設する。鉄道と不動産は切っても切れない両輪の関係にあった。

その中核となる鉄軌道事業を分社化するとなれば、「東急が鉄道を切り離した」「鉄道が東急の事業の主流ではなくなった」などと言い出す人、新・東急電鉄の本社移転に対し、「東急の本社から追い出された」という見方をする人も出てくるだろう。しかし、実際には鉄軌道事業を発展させるための施策と考えられる。

東急の公式サイトには、「新たな体制のもと、高度化・多様化されたお客さまのニーズなど、各事業を取り巻く環境変化へスピード感を持って対応するとともに、新たな付加価値の創造による事業拡大を図ってまいります」とある。いままでの東急電鉄は規模が大きくなりすぎた。適正な企業規模で鉄軌道事業を進めるための分社化だろう。

どんな企業も、事業費や事業規模が大きくなるほど決済に時間がかかる。たとえば10万円まで課長決済、100万円まで部長、1,000万円は事業部長、1億円は役員の承認が必要という企業において、それぞれの決済事務日が週1日の場合、役員承認までに4週間もかかってしまう。

しかも、鉄軌道部門の決済案件にもかかわらず、他の部門から「そっちに金を使うならこっちに寄越せ」と横槍が入ることもある。当事者にとっては横槍に見えても、別部門から見れば正当な行動かもしれない。誰もが自分の仕事を有利に進めたいから、誰も責められない。とはいえ、これでは「スピード感を持って対応」などできない。

「新たな付加価値の創造」もそうだ。事業部が一丸となって進めたい新サービスがあっても、その価値を理解できない他部門の役員を納得させないことには進められない。もちろん納得してもらうまで説明すればいいわけだけど、労力と時間の無駄でもある。

分社化はこうした「大企業病」の特効薬となりうる。鉄軌道事業のことは鉄軌道事業の社長が最終的に決済する。駅の設置や改築、車両新造などの迅速化も期待できる。

■喫緊の課題は田園都市線渋谷駅の混雑解消

分社化のもうひとつの効果として、自治体や国との事業が円滑になる。鉄道施設は鉄道事業者の所有物である一方、地域の社会インフラでもある。沿線住民が鉄道施設に不満を持ったとしても、鉄道事業者が損益を理由に改善しなければ、不満は解消されない。不満というレベルならまだしも、危険なレベルに達する場合もある。

たとえば立体交差事業。踏切を除却して安全性を高め、列車の速度を上げる。踏切の解消は地域住民のためでもあるから、自治体の主導で行われる。鉄道事業者は全額負担の必要はないけれど、同時に複々線化や駅の改良・増設などを行う場合、価値向上部分について鉄道事業者の負担が増えることになる。

  • 朝ラッシュ時間帯の田園都市線を走る8500系

新・東急電鉄において、喫緊の課題は田園都市線渋谷駅の混雑解消だろう。現在は1面2線の島式ホームのみ。ラッシュ時間帯はホームが混雑するため、停車時間を長めに取る必要がある。また、混雑時間帯に折返し列車を設定しにくいため、田園都市線と相互直通運転を行う東京メトロ半蔵門線との乗客数のバランスが取れない。しかも、東急の商号変更と同時に発表された「長期経営構想」では、田園都市線沿線の乗客は2035年頃まで増えると予想されている。そこで「駅とまちが一体となった都市再生事業(田園都市線渋谷駅改良など)の検討」が構想の中に盛り込まれた。

東急は2010年、国土交通省に対し、渋谷駅の2面3線化を「将来の課題」として示した。当時の概算見積は約1,000億円超といわれた。費用以外にも他の鉄道事業者や地権者との合意形成が必要で、東急だけでは負担が大きい。しかし、田園都市線はすでに地下化されていたため、立体交差事業のように自治体が援助するしくみがなかった。

そうなると、自治体から支援を受けやすくするために、東急グループ本体から鉄軌道事業を分離、つまり「お財布を分ける」必要がある。上田交通から上田電鉄が分社化、一畑電気鉄道から一畑電車が分社化した背景も、自治体からの支援を受け入れるため。「お金の使い道は鉄道会社の支援です」という枠組みが必要だった。

東急の分社化も、このような背景があると筆者は予想している。新・東急電鉄の本社移転も、「東急本体とはお財布が別ですよ」と強調するためかもしれない。新・東急電鉄の「スピード感」と「新たな付加価値の創造」に期待したい。