北海道の民間グループ「北海道鉄道観光資源研究会」がこのほど、廃車される予定のJR北海道の特急形気動車キハ183系の保存展示プロジェクトを立ち上げた。保存車両は北海道安平町に開業する道の駅で展示する予定だ。現在、クラウドファウンディングサイト「ReadyFor」で車両の購入と輸送の費用を募っている。

  • JR北海道が運行する「キハ183系」スラントノーズ形先頭車は残り5台、すべて廃車予定(写真提供 : 北海道鉄道観光資源研究会)

目標金額は610万円で、1月1日から1月9日までに集まった支援総額は約320万円。短時間で半分まで集まるという好スタートだ。しかし必要総額が大きいため、油断はできない。1日1万円の平均支援額として、あと304人の支援が必要となる。

キハ183系は、当時の国鉄が本州以南で使用していた特急形気動車キハ181系の北海道仕様として開発された。当時、北海道の気動車特急は本州と同じ形式のキハ82系を使用していた。この形式は寒冷地対策が行われていなかったため、故障が多く、小改造で対応しながら運用する状態だった。そこで、本州で次期特急形気動車として設計されたキハ181系の北海道仕様としてキハ183系が製造された。

キハ181系の先頭車には貫通路が設けられていた。これは先代のキハ82系を継承しており、車両の増結や併結運転などで運用するためだった。一方、初期のキハ183系の先頭車は貫通路がなく、国鉄特急形電車のように運転台を高く上げていた。駅で分割・併結の作業を行わない前提だったという。

キハ183系の登場時、北海道の特急列車は函館駅を起点とし、札幌駅を経由しつつ、網走方面や帯広・釧路方面へ独立した運用となっていた。基本は7両固定編成で、乗客の多い時期は車両基地で中間車3両を増結する運用だった。

貫通路不要を前提としたキハ183系の先頭部は、平面の斜面を施した「スラントノーズ」という独特の形状となった。同時期に製造された北海道仕様の特急形電車781系は丸みを帯びた顔つきだったけれど、キハ183系は前面も側面も直線的な顔つきとなった。

筆者は当時、キハ183系のキリッとしたスマートな姿に独特のかっこよさを感じた。多くの鉄道ファンも同様に感じたと思う。中間に貫通路付きの先頭車を組み込まなかったことも、キハ183系の編成美に貢献していた。

  • 直線的なマスクと、整った編成美が特徴的(写真提供 : 北海道鉄道観光資源研究会)

キハ183系は1979年に試作車が製造され、1981年から量産車が投入された。1981年といえば、石勝線が開業した年でもある。それまで札幌駅から帯広・釧路方面を結ぶ列車は夕張山地を迂回する根室本線経由だった。石勝線はその夕張山地をトンネルで短絡する路線として開業した。キハ183系の特急列車を投入して札幌~釧路間を4時間40分で結び、所要時間を約1時間20分も短縮した。

その他の路線でもハイパワーと安定した走りで活躍し、北海道の都市間連絡輸送に大活躍した。1961年、北海道初の特急列車として、キハ82系の「おおぞら」が運行を開始した。それが北海道の高速鉄道時代の第一歩。そしてキハ183系と石勝線経由の特急「おおぞら」は、北海道の高速特急ネットワーク網の象徴である。

そのキハ183系も、ついに引退の時期を迎える。北海道の鉄道の記念碑ともいえる車両だけど、いまのJR北海道に保存・展示施設を作る余力はなさそうだ。そこで、北海道の鉄道に魅せられた人々によって結成された「北海道鉄道観光資源研究会」が保存プロジェクトを立ち上げた。北海道では、これまでにも民間のプロジェクトとして、寝台特急「北斗星」の客車や711系電車、旧沼牛駅木造駅舎などの保存活動をクラウドファウンディングで成功させてきた。支援の輪は北海道だけではなく、全国に広がっている。

  • 711系電車保存プロジェクトの参加者名が車内のプレートに掲出されている。現地で自分の名前を探す楽しみもある

キハ183系気動車保存プロジェクト「北海道・鉄道史の誇り。往年の『特急おおぞら』を国鉄色で未来へ」は、最低5,000円から支援に参加できる。成功時の謝礼は感謝のメールと特製ポストカード2枚。また、1万円以上の支援に参加すると、成功時に記念品だけでなく、車内のプレートに名前を残せる。これは支援金額以上に価値のある謝礼だ。プロジェクトに参加できた喜びと、後世に名を残す満足感が得られる。

北海道では、現役の鉄道路線が存続の危機にあり、その維持も大切だ。さらに車両も存廃の危機にさらされている。何もしなければ、鉄道の記憶、産業遺産でさえ失われてしまう。大袈裟にいえば、北海道から鉄道の歴史そのものが消えてしまいそうだ。過去も現在も、北海道の特急列車に憧れた人はぜひ、このプロジェクトに参加してほしい。