忍者カウンターが終わる。
この報を聞いて宇宙をバックに「巨星墜つ…!」という顔をしているのは、少なくとも30歳以上だろう。
「忍者」などという外国人が立ち上がりそうな名前がついているが、普通のカウンターのことである。
そう言ってもまず「カウンター」が伝わらないだろう。
時代の流れが加速しすぎて、たかだか10年この世にひり出されるのが遅いか早いかで意志の疎通が困難になりつつある。
それは、イット革命はなやかなりし頃のお話
今、ネット上に自分のスペースを持っている、と言ったら大体「SNS」、話が長い奴は「note」、話が長いおじさんとおばさんは「ブログ」、全オタクは「ピクシブ」と言った感じだろう。
しかし、それらはほんの20年前まで全てなかった。
では、我々ネットでしか言いたいことが言えない、内ポイズンたちが何で自己を表現していたか、というと「個人HP」である。
ヒットポイントではない「ホームページ」だ。
「個人ホームページ」とは、言葉で説明するより見てもらった方が早い。
よって、まず「阿部寛」と検索して、彼の公認ホームページを見て来て欲しい。
其処が昭和生まれ俺たちの庭、大遊戯場「個人ホームページ」の姿である。
ちなみにこのホームページはこんななりだが、当初、有志のファンサイトだったものが、のちに本人の公認を得るというシンデレラホームページでもあるのだ。
こういったものを、ホームページビルダーなどのHP制作ソフト、それすらない時代はhtmlという謎のアルファベット羅列を打ち込むことにより、枠線1本から手作りしていたのである。
この阿部寛ホームページは個人ホームページの姿として限りなく完成されているが、あえて一点曇りがあるとしたら、「カウンター」が設置されていない点が惜しい。
カウンターというのは、ホームページに来た訪問者の数をカウントし、表示してくれるツールの事である。
当然、自動的にそんな機能がつくわけもなく、カウンターツールを提供してくれている所から借りて、手ずから設置するのだ。
忍者カウンターとは「株式会社忍者ツールズ」が提供しているカウンターサービスのことである。4000種類以上のバラエティ豊かなカウンターを提供していたため、多くの個人HP運営者がお世話になっていた。
よって「忍者カウンター終了」の報が出た時、いつもは「そんなもの見たことありません」というようなツラをしている人間までもが、中学生の時世話になったセクシー女優が死んだかのように「嘘だろ…」となったわけである。
たぶんツールの終わりではなく、文化の終わりだった
何のために「カウンター」なるものが存在していたかというと、SNSで言うところの「いいね」や「リツイート」みたいな役割である。
HPを開くからには誰かに見てもらいたい、どうせならたくさんの人間に見てもらいたい、そんな「誰か自分を見ている」という承認欲求を満たしてくれていたのが「カウンター」だったのである。
逆に言えば「いいねゼロ」のように、カウンターを設置したことにより「誰も来ていない」という事実が判明してしまうし、「今日の訪問者、3人中3人が自分」という現象もよく起きるのだが、それでも多くのHP運営者が自サイトにカウンターを設置していた。
またこのカウンターを使った「キリ番」という文化もあった。
訪問者が「100」や「666」「37564」などキリの良い数字を踏むことを「キリ番ゲット」と呼んでいた。
創作サイトの場合「キリ番ゲットした方のリクエストお受けします」というような企画をしているところも多かった。
リクエストというのは「泣きながら除草作業をしている照英のイラストを描いて下さい」という風に、HP運営者にイラストや小説のリクエストを出来る、という制度のことだ。
だが、当然、キリ番を踏んだ人間が必ず名乗りでて、リクエストをくれるとは限らない。このように、キリ番を踏みながら名乗り出ないことは「踏み逃げ」と呼ばれていた。
今思えば、訪問者は何も悪いことをしていない。ウンコを踏むぐらい不可抗力であり、わざわざ「ウンコ踏みました」と名乗り出る義務も特にない。
しかし、どちらかと言うと「踏み逃げ」は悪いことであり「踏み逃げ禁止」という強気のルールを課すホームページもあった。
「キリ番踏んだ方リクエスト受けます!」と言ってリクエストがないのは「おひとり様おひとつまで!」と書いた商品を誰も買わないような恥ずかしさがあるため、何とかリクエストして欲しいのだった。
よって、素人のイラストや小説など全然欲しくないが、義理で「キリ番ゲットー!」とさも嬉しそうにキリ番報告していたと言う人も結構いるのではないだろうか。
今も、「いいね!」を押し合ったりする関係があるように、当時のHPにもこのような互助関係は存在したのである。
忍者カウンターが終わった理由は、個人ホームページを持つ人が少なくなり需要が減ったから、としか言いようがない。「寂しい」と言っている人間も、当時使っていただけで、現役で使っているという人は少数派だろう。
どれだけ盛隆を極めたツールも時代と共にいつかは消える。
50年後、「ツイッター終了」「インスタ終了」のニュースが出て、各地の老人ホームが騒然とする日もくるかもしれない。