局入り時は普通のおじいさん

――渡辺さんから見て、あらためて田原さんのすごいと思うのはどんなところですか?

渡辺:田原さんって、本番が近づくにつれて、“田原総一朗”になっていくんですよ。

――どういうことですか!?

渡辺:それはね、冬場なんか、いつも白いタートルネックのセーターで局に入ってくるんですけど、その時の田原さんは、テレビを見てる人からは考えつかないくらい普通のおじいさんなんです(笑)。だけど、打ち合わせをして、メイクをして、着替えて本番が近づくにつれて、“田原総一朗”になっていくんですよ。

――だんだん戦闘モードに入っていくんですね。

渡辺:田原さんの集中力ってすごいと思うんですけど、正直言えば、30年前と比べたら衰えていると思います。逆に、衰えてなければおかしいもん(笑)

田原:人の名前はやたら忘れますからね。

(一同爆笑)

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渡辺:それに、僕は『朝生』より5年くらい前から『トゥナイト』(80~94年)っていう深夜番組で田原さんとご一緒させていただいてたんです。今はもっともらしい顔してニュースを伝えてますけど、当時はすっとこどっこいレポーターで、ノーパン喫茶に取材に行くわ、分度器持って鎌倉の材木座ビーチで寝転がってる女の子の水着のパンツの角度を測りに行くわ、いろんなことやっていたんです(笑)。その番組にも田原さんが出てらっしゃって。

田原:パソコンが出はじめたときで、そういうのに詳しいから、最初は「科学ジャーナリスト」として出たんですよ。それでいろいろ話をしたら僕に興味を持ってくれて、「日本のドン」と言われる政治家に話を聞きに行くコーナーを担当することになったんです。一発目はハマコー(浜田幸一)だったから、真面目なドンじゃなくて、ケンカが強いドン(笑)

渡辺:それが、ある意味『朝生』の原点なんです。田原さんはたしか火曜日のコーナーでしたよね。当時の自民党の1回生2回生をスタジオに呼んで議論したり、日本医師会会長だった武見太郎さんも出たり、あと今でも覚えてますけど有楽町で街宣車の上に乗って、右翼の赤尾敏さんと討論して、それを放送したり。あれが戦う討論の原点だと思います。それと、『朝生』って、討論テーマのタイトルで「激論!」「徹底討論!」「ドーする?!」とか付きますけど、それもこの番組が生み出した言葉ですよね。

理想の死に方は『朝生』生放送中

――先ほど、渡辺さんがこの番組は本番に向かう時に緊張するとおっしゃっていましたが、田原さんも緊張することなんてあるんですか?

田原:ありません(笑)。極端に言うと、殺されてもいいと思ってやってる。

渡辺:それくらい、命を張ってやってらっしゃるということですよね。

田原:鈴木(裕美子プロデューサー)さんによく言うんだけど、「理想の死に方は、『朝生』で田原が静かになったので、よく見たら死んでた」って(笑)。鈴木さんは「冗談じゃない。生放送が終わって『お疲れ様でした』と言ってから死んでください」って言うんだけどね(笑)

渡辺:僕も困るんですよ。途中で死なれちゃったら、後をフォローしなきゃいけないですからね(笑)

――まだまだご活躍されると思いますが、今後の意気込みをお願いします。

田原:意気込みはあります。よく「そんな歳になって夜中やって、からだに悪いよ」って言われるんですけど、悪くなっていいじゃないかって思うね。

渡辺:僕は、リングアナウンサー兼、スタジオの討論空間とテレビを見てくれている人とのパイプ役だと思ってるんですよ。テレビというリングの上で政治家生命、学者生命を懸けてみんな出てくれるわけですから、その緊張感はすごいですよね。この役割は、これからも変わらないと思います。それと、田原さんも84歳になりましたから、やっぱり長くやっていただくのが、僕の一番望んでいることです。

田原:ありがとうございます。

渡辺:死ぬまでついていこうと思います。田原さんがいなくなったら、僕も卒業の時かな。

――まさに一心同体という感じですね。

渡辺:僕もこの歳になりましたから、後輩のアナウンサーに受け継いでもらいたいという気持ちもあるんですよ。番組の冒頭3分間しゃべるだけのために、そのテーマに関して1カ月間勉強して、いっぱい本も読めるから、そういう経験を若い世代にもしてもらいたいということもあるんですけど、とりあえず田原総一朗の『朝まで生テレビ!』が続いている間は、僕も一緒にやらせていただこうかなと思ってます。

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    放送20年の回より=テレビ朝日提供

便利になりすぎて取材者がサボってる

――いろいろお話をお聞かせいただきありがとうございました。最後に、お2人にとって「平成」とはどんな時代でしたか?

田原:世界が大きく変わった時代です。89年にマルタ会談で冷戦が終わって、91年にバブルが弾けた。それで戦後ずっと高度成長で豊かになることへ向かっていった日本の経済の目標がなくなった。そしてもっと大きいのは、平成が始まるちょっと前に、アメリカはレーガン、イギリスはサッチャーが出てきて、あらゆる規制をなくしていこうとなって、日本にも自由化を求めてきた。要するにグローバリゼーションの波が来たんだけど、それがトランプになると反対になって、イギリスもEUを離脱した。グローバリゼーションという流れに矛盾が出てきて、世界中で大嵐が吹いている。だから、これからは新しい秩序を作らなければならない時代ですね。

渡辺:僕ら取材するテレビマンの1人としてすごく感じるのは、80年代後半から90年代にかけて、衛星設備がものすごく充実して、海外で起こったことを撮影した映像素材をすぐ日本に送ることができるようになったんです。そこからさらに進化して、先日、米朝会談でシンガポールに行った時にあらためて思ったんですけど、今はチップに映像を録画してパソコンに入れてすぐ東京に送れるんです。スピード感で言うと1日分くらい早くなって、平成の最初の頃とは隔世の感がありますね。そして、これまでは内政と外交で、政治部と外報部という組織になってますけど、もうそんな分け方をする必要がないくらい、出来事が同時進行で起こっています。それが瞬時に手元に入ってくるという時代ですから、この先の変化というのは、ちょっと僕も想像がつきませんね。

田原:ただね、便利になりすぎて取材者がサボってると思う。例えば加計学園の加計孝太郎理事長が地元で記者会見をしましたね。でも、その後の加計孝太郎の映像が全然出てこない。昔なら“夜討ち朝駆け”ですよ。先日も自民党の議員が肺がんの患者に暴言を吐いた。でもその議員は出てこない。夜討ち朝駆けをやればいいんだよ。

渡辺:ただ、働き方改革で組織ジャーナリズムは残業を減らさなきゃいけないという方向なので、なかなか夜討ち朝駆けができないんですよ…。これも、平成が30年たってテレビ報道を取り巻く変化の中で、本当に大きな問題になってます。