漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


私は24時間の内1時間半くらいしか立ったり歩いたりしている時間がなく、他は全て寝ているか座っているかであり、その内覚醒している間はずっとパソコンかスマホに向かっていて、残りの68時間はずっとツイッターをやっている。

そして食事は365日中300日はレトルトのパスタ、そして「粉」である。

そんな生活を続けて何故私がまだ死んでいない、もしくは自分が死んだと気付いていない地縛霊になれているかというと、やはり「睡眠」だけは昔から十分に取っていたからだと思われる。

最近仕事の進捗が悪く、深夜の2時や3時というやっと無職の風格が漂う時間に寝るようになってしまったのだが、その分昼間寝たりしているので、トータルの睡眠時間はそんなに変わっていないと思われるし、どれだけ締め切りが差し迫っていても眠気を感じたらあえてではなく「必然的に寝る!」と言って寝てしまう。

人間は寝ないと死ぬし、死なないまでも寝ないことで様々な人体の機能が失われてしまう。

だから説得や勧誘というのは、ドトールなどの角席に詰めて寝させず、相手を無力化するところから始まるのだ。

つまり、どれだけ締め切りが押していようと「寝ずに描け」と言うのは脅迫を越えてもはや殺人なのである。

締め切りを破るのと殺人だったらどう考えても後者の方が罪が重い、よって、私は自らが罪をかぶることによって、編集者が殺人の罪を犯さないようにしてやっているのだ。

ゆえに、作家の方は締め切りを無視して寝る時、編集を裏切っているのではなく、むしろ奴らを救ってやっているのだと思ってほしい。

ともかく、他が全部だめでも睡眠さえ人並にとっていれば、人はそうそう死なないので、寝ずに物を食うか、食わずに寝るかだったら、迷わず後者を選んでほしい。

そして寝た後は、なぜそんな二択を迫られる人生になったのかを今一度考えなおしてみてほしい。

そもそも無職やフリーランスの良いところと言ったら、自分の采配次第で寝たい時に寝られる点である。

むしろそれができなければ、良いところが一つもない。

よって、固定給や厚生年金の奴らに「寝ずに描け」と言われたら「これは俺が貴様らが持っている特権を捨てて得た特権だ」と言って無視していい。

しかし、私の睡眠が足りているのは、寝る時間があるのと「寝ることができる」という幸運が重なったおかげである。

私は、起きているというのが無理な性質で未だかつて徹夜というものを成功させたことがないのだが、世の中には「寝たいと思っても寝られない」という人もいるという。

「寝る前にははちみつを入れたホットミルク、そして一かけらのSをキメるのがいい」と、どこかロハス系雑誌に書いてある幻覚を見たことがある。

Sというのはもちろんシャブのことではない、寝る前に「覚醒剤」というこれ以上なく覚醒しそうなものをキメていいわけがない。

Sというのはもちろん「スケベ」のことだ、寝る前にはちょっとスケベな物を見て、目をつぶり脳内でその余韻に浸っているといつの間にか寝ている。

しかし、SのつもりがDS(ドスケベ)を摂取してしまい、脳内で余韻ではなく「本編」が始まってしまい眠れないということはたまにある。

寝なきゃいけないのに眠れない、しかし起きて何らかの作業をするほどの元気はなく、DSなことを考えるのが精いっぱいという状況は非常に焦る。

寝なければ当然疲れは取れないし、疲れは取れてなくても朝はきて、また会社など疲れる場所に行かなければいけないのだから疲れは蓄積される一方だ。

おそらくこの「不眠」で体調を崩す人も多いと思われるので、割と寝つきが良い方に生まれたのは幸いだったと思う。

しかし、年をとると体力を回復させるはずの睡眠に健康を奪われていることもままある。 それが「早朝バズーカ」に並ぶ脅威「起き抜け腰痛」である。

30半ばあたりから「もしかして寝ている間に車に甘轢きされたかな?」というような朝が増えてきたのだ。

何故か寝ていただけなのに起きた瞬間、ニュース番組でたまに聞く「全身を強く打って死亡」みたいな状態になっているのである。

つまり若い頃は無条件で体力を回復してくれていた睡眠だが、年をとると「寝方」という条件を揃えないと逆に体力を奪うという、諸刃の剣になってしまうのである。

確かに、この年になると不用意に畳、ましてフローリングなどに横になってしまったら「救助」を待つしかなくなってしまうことがままある。

たまに、フローリングの床に薄い敷布団を引いて寝ているようなタイプのミニマリストを見ると、これは若いうちか、機械の体でないと無理だと思ってしまう。

よって年を取ったら、布団と枕はケチるなと言われている。

年をとったら「コンパクトに生きよう」などというが、多くの助っ人を用意しないと寝るだけで死ぬようになるのが老化というものである。