11月28日に放送された大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第37回「栄一、あがく」(脚本:大森美香 演出:鈴木航)では、栄一(吉沢亮)を取り巻く人がどんどん死んでいった。最愛の妻・千代(橋本愛)が亡くなったことをはじめとして、江戸から明治へ――時代が大きく変わった時に匹敵するような大きな変化が栄一の身の回りに訪れていた。そんな変化の中で、吉沢亮の存在意義がますます輝きを増している。

  • 『青天を衝け』渋沢栄一役の吉沢亮

岩倉具視(山内圭哉)は、日本はお上(天皇)のもとで国家をつくらねばいけないと言いお上の幻を見ながら亡くなっていく。栄一の共同運輸と熾烈に戦った三菱の岩崎弥太郎も戦いの途中で亡くなる。「日本に繁栄を~」と最後までギラギラしていた。

東の渋沢、西の五代と言われたほどの大阪の五代友厚(ディーン・フジオカ)も病に冒され、志半ばで倒れる。「おいが死んでもおいが作ったものは残る」「青天白日――いささかも天地に恥じることはなか」と言いながら栄一に日本を託す。五代も「青天」の言葉を使うところが印象的だった。

多くの人たちが亡くなっていく中、栄一は生き続ける。渋沢栄一は活力にあふれて長生きだ。実際、91歳まで生きている。家族、友人、仕事仲間……どんどん死んでもひとり生き残る栄一。彼の孤独は、ドラマの最後の、洋装の栄一がひとりで立っている映像から感じられるようだ。伊藤博文(山崎育三郎)が初代内閣総理大臣になった明治13年、1885年の時点で45歳。吉沢亮がさほど老けメイクや老けた演技をしなくても彼の若さが渋沢栄一の生命力と思って見ることが可能である。

栄一がまだまだ若く、人の助けが必要であることは、後妻の伊藤兼子(大島優子)とのやりとりで示される。兼子はやす(木村佳乃)の紹介で栄一と再婚した。没落した家とはいえ名士の出であること、栄一の仕事を助けることができる――社交もできる人物として彼女に白羽の矢が立ったのだ。ところが兼子は一度は結婚したものの離縁してほしいと言い出す。「妾にだけはならない」と思ってきたからこそ正妻の話を受けたが、栄一が千代を忘れることができない姿を見てそう考えたのだった。

その時、栄一はこれまで、自分は目の前のことにせいいっぱいで、そんな自分は父、母、一橋家、千代……と多くの人に見守られどうにかやって来たため、「これからは俺をもっと叱ってくれ」と兼子に頼むのだ。議会ができて民が政治に口を出すようになった。理想の新しい社会が生まれるはずだったが、貧民は社会のお荷物だという人たちも現れて、千代が大事にしていた養育院の存続も危うい。栄一ひとりでは理想の社会を作ることは困難で、だからこそ時々、道を迷わないように誰かに傍にいてほしいと考えているのだろう。

栄一「捨ててやるぞこのへっぽこ野郎とののしってくれ」
兼子「いえ、そこまでは言っておりません」

この会話がおもしろかった。それはともかく、兼子に自分を見守る役目を負ってほしいと頼む栄一には彼女への愛情はまったく感じられない。兼子と結婚した時も、家政を万事抜かりなくやってほしいとか子供もたくさんほしいとかじつに事務的に頼んでいた。仕事のため家のためひたすら心をクールに徹する栄一。千代の死が引き金となって変化したことを感じる。

兼子を見る顔と、千代のことを思い出すときの顔がまるで違うのだから、兼子もやりきれないことだろう。第一、栄一の子供ができて同居していた大内くに(仁村紗和)が正妻となって働くことは彼女には荷が重いだろうと後妻にはしないのである。くにを思っているように見えないこともないが役割として割り切っている。

それでも兼子は離婚を思い直し、養育院、存続のために尽力もする。ドメスティックな男女関係としてこの流れを見ると典型的な男性社会と感じられるが、千代を、栄一が愛読する『論語』の心の象徴と考えたら、それをみんなで守っていこうと持ちかけ、兼子がその志に乗ったという解釈もできるだろう。

国のため、人々のため、ただただ尽力していく渋沢栄一。残された者の孤独と重い責任という抱えきれないほどのものを持って進む渋沢栄一を演じるには吉沢亮くらいの若いエネルギーを持った人物がふさわしい。大島優子は大島優子で、なんでも手際よくこなすクレバーでわきまえのある人物を見事に演じている。

人気講談師・六代目神田伯山が二代目神田伯山として登場し、栄一の共同運輸と岩崎弥太郎の郵便汽船三菱との戦いを講談として語ったことも話題になった。

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