紫式部(むらさきしきぶ)は歴史上でも有名な人物として、多くの人に知られています。しかし、紫式部がいつ、どんなことをして有名になったのかまで、細かく知っている人は少ないのではないでしょうか。

本記事では紫式部が何をした人なのかや、生没年に死因、父は誰か、名前の由来などを解説。著書の『紫式部日記』や同じ時代を生きていた清少納言との関係、2024年の大河ドラマ『光る君へ』についてもまとめました。

  • 紫式部とは

    2,000円札の肖像画にも採用された偉人、紫式部やその著書である『源氏物語』『紫式部物語』などについて解説します

紫式部(むらさきしきぶ)とは? 何をした人?

紫式部(むらさきしきぶ)は、誰もが小学校で習うほど有名な歴史上の人物ですが、具体的に何をして有名になったのか知らない人もいるでしょう。ここでは、紫式部の人物像や功績について、簡単に紹介します。

平安時代中期の物語作者であり『源氏物語』などの名作を残す

紫式部は、平安時代中期の物語作者であり、歌人としても活躍した女性です。

紫式部の代名詞といえば『源氏物語』ですが、これは1001年ごろから、9年ほどの歳月をかけて完成されたといわれています。

紫式部は『源氏物語』のほかにも、『紫式部日記』や『紫式部集』などの物語を書き連ねています。日記を通じて見える紫式部の性格からは、表面はつつましく、その内には強烈な自我が隠されていると考えられてきました。

紫式部の生没年と父

紫式部が生まれた年は970年や973年など所説あり、没年は不明とされています。

父は学者であり、詩人でもあった藤原為時(ふじわらのためとき)です。

幼少期のエピソードと、藤原道長との関係

紫式部は幼少期から文学に目覚め、大変優秀な人でした。

父は紫式部の幼少期、弟(兄という説も)に熱心に漢詩を教えます。しかしそれを横で聞いていた紫式部の方がよっぽど覚えが良かったため、父は「お前が男だったら良かったのに」と残念がるエピソードがあります。当時は漢詩は男性が習うものであり、女性が学問に精通していても生かせる場がほとんどなかったのが実情です。

成長した紫式部は処世術として、自分の才能を隠すことすらしていたそうです。

それでも紫式部は、当時宮廷内の実力者であった藤原道長にその才能を見込まれて、彼の娘であり、一条天皇の中宮(正妻にあたる位)である彰子の女房として抜てきされます。紫式部は彰子に仕え、和歌や漢詩などの学問を教えたといわれています。

紫式部の名前の由来と本名

「紫式部」とは本名ではなく、当時の人々がつけた呼び名だといわれています。

元々、紫式部と呼ばれる前の女房名は、藤式部(とうのしきぶ)でした。これは父である藤原為時の官職であった「式部大丞」と、姓の「藤原」から来ているとされています。

そして彼女が紫式部と呼ばれるようになったのは、『源氏物語』を執筆したことも影響しているようです。紫式部という名前は『源氏物語』に登場する「紫の上」に由来しているとされています。なお紫式部という呼び名は、彼女の死後に付けられたものという説があります。

紫式部の本名は不明です。当時は本名には特別な力があると信じられていたため、本名ではなく、通称を使う人が多かったのです。

紫式部の死因は?

紫式部の死因はわかっていません。紫式部の没年を残す資料が見つかっていないからです。

  • 紫式部とは?

    紫式部(むらさきしきぶ)は誰もが知る文学作品を書いた人物です

紫式部が執筆した『源氏物語』とは?

紫式部の著書の中でも、特に有名な作品として知られる『源氏物語』。一体どのような物語なのでしょうか。

ひらがなが用いられた長編小説

『源氏物語』が書かれた平安時代は、日本特有の文化が数多く築かれた時代でもありました。そのひとつに、私たちが日常的に利用している「ひらがな」と「カタカナ」の誕生があります。

「安」を崩して「あ」と書いたり、「江」の一部を用いて「エ」と書いたりするなど、今までの生活で用いられてきた漢字をもとに、日本特有の言語として完成させました。

ひらがなは、自分の気持ちを漢字よりも表しやすい文字として、当時の貴族女性の間で広まったとされています。このひらがなを用いて紫式部が書いたのが『源氏物語』です。

宮廷を舞台にした物語

ひらがなで書かれた『源氏物語』は、全部で五十四帖(じょう)になる長編小説です。1帖の面積は1.62㎡なので、『源氏物語』はおよそ87.48㎡もの長さの巻物に書かれているということになります。

これだけでも、紫式部が相当の時間を費やしたであろうことが想像できるでしょう。

『源氏物語』は宮廷を舞台にした華やかな物語であり、天皇・桐壺帝(きりつぼてい)と、その特別な寵愛を受けた桐壺更衣(きりつぼのこうい)の息子である光源氏(ひかるげんじ)が主人公として描かれています。

『源氏物語』の人気は現代でも根強く、日本語以外にも約20を超える言語に翻訳され、読み継がれています。

男女の恋物語が描かれる

日本文学の最高傑作とも称される『源氏物語』の主人公・光源氏は、絶世の美少年であるとされています。『源氏物語』では、彼とその周りの女性たちの恋物語が描かれました。

『源氏物語』に出てくる女性はどれも個性の強い人物として表現されており、これを巧みに書き分けているところに紫式部の観察眼や創作力の強さが表れています。

何人もの魅力的な女性と光源氏が織りなす、その物語の果てには何が待ち受けているのか、現代人が読んでも非常に面白い作品なので、気になった方はぜひ読んでみてください。

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紫式部と清少納言の関係は?

紫式部と同じく、平安時代の有名な女性に「清少納言」という人物がいます。清少納言も平安時代に活躍した歌人であり、随筆家として知られています。ちなみに清少納言という名前も、紫式部同様に本名ではありません。

清少納言は『枕草子(まくらのそうし)』を執筆したことで、その名を轟かせました。同じ執筆家ではありますが、紫式部は清少納言のことを好んではいなかったようです。

それは紫式部の『紫式部日記』において、清少納言の才能を疑い、他人と異なるものを好む性格を批判した表現が見受けられることや、清少納言の『枕草子』に書かれた内容を恨んでいる一説が残っていることからうかがえます。

現代風にいうのであれば、紫式部と清少納言はライバル関係にあったと考えてもいいかもしれません。

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紫式部の『源氏物語』以外の主な作品

紫式部には『源氏物語』以外にも多くの創作物があります。ここでは、中でも有名な作品を紹介します。

『紫式部日記』

『紫式部日記』は、宮仕えの日々をまとめた紫式部自身の日記です。彼女の少女時代から晩年に至る、まさに紫式部の生涯をのぞくことができる作品となっており、この日記からは紫式部が使える皇后・彰子に対する敬慕の思いが見受けられます。

この日記には、彼女の生きざまだけでなく、『源氏物語』が完成するまでの背景や、清少納言への批判なども描かれており、紫式部という人物を知るために欠かせない一冊です。

『紫式部集』

『紫式部集』は、その名の通り紫式部の和歌集です。彼女の詠んだ和歌の中でも厳選されたものがまとめられていますが、「自分の今の思いを詠んだもの」よりも、「誰かに贈るために詠んだもの」が多い傾向にあります。

このことから、紫式部が友人関係や人間関係を重んじる性格であったと推測されています。『紫式部集』からは、紫式部の人物像はもちろん、思想や歌風、生きざまを感じとることができるでしょう。

百人一首に残る紫式部の和歌

紫式部が詠んだ和歌は、百人一首にも収録されています。

"めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな"

この和歌は「久しぶりに会えたのに、それがあなたかどうかもわからないようなわずかな時間で帰ってしまうなんて、まるで雲に隠れてしまった夜中の月のようではありませんか」と現代語に訳すことができます。

「再開した友人と満足に話もできずに帰ってしまったこと寂しさ」を表しているのです。

ちなみに百人一首は、上の句を読み手が読んで、その次に続く下の句をその場に置かれた札から早く取るという遊びですが、この和歌は「一字決まり」と呼ばれる種類に分類されます。

一字決まりとは、上の句の一文字目で取るべき札がわかるというものです。

つまり読み手が「め」という言葉を発した瞬間に、「くもがくれにし よはんのつきかな」という札を取ればいいので、覚えやすい一首です。百人一首に触れたことのある人であれば、一度は覚えたことのある和歌ではないでしょうか。

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紫式部がお札の肖像画になったのはいつから?

物語作家として有名な紫式部ですが、実は紙幣の肖像画に描かれていることを知らなかった人もいるのではないでしょうか。紫式部が描かれている紙幣は2,000円札であり、2000年から2003年まで発行されていました。

2,000円札自体が流通枚数の少ない紙幣なので、見たことがない人のために絵柄を紹介すると、表面の右側には守礼門という首里城第二の坊門が描かれ、裏面の右側には紫式部の絵、左半分には源氏物語の一説とその絵がそれぞれ描かれています。

2024年の大河ドラマ『光る君へ』では吉高由里子さんが紫式部を演じる

2023年1月7日よりNHKにて放送開始の大河ドラマ『光る君へ』。

10世紀後半、京の下級貴族の家に生まれた「まひろ」が、シングルマザーとして子育てする傍ら『源氏物語』を執筆する様や、運命のひとであり後に最高権力者となる藤原道長との不思議な縁を描いた物語です。紫式部の情熱や、強くしなやかな生きざまを感じることができるでしょう。

主人公の紫式部(まひろ)を演じるのは吉高由里子さん、藤原道長を演じるのは柄本佑さんです。

紫式部は当時では珍しい女性作家だった

紫式部は、当時日本にできたばかりの「ひらがな」を用いて恋愛小説を執筆した、優秀な女性です。彼女が執筆した『源氏物語』は、日本だけでなく世界でも広く読まれる小説となりました。

紫式部の本名や生没年は特定されていないため、謎に包まれた存在ですが、彼女の残した作品は今でも楽しむことができます。この記事を読んで気になった作品があれば、ぜひ手にとって読んでみてくださいね。