鉄道博物館(さいたま市)で開催される「走るレストラン ~食堂車の物語~」。日本に食堂車が誕生して今年で120周年となることにちなみ、鉄道と食の関係を紹介する展示を行う。本館2階「トレインレストラン日本食堂」で期間限定メニューも提供される。

  • 「走るレストラン ~食堂車の物語~」の開催期間中、鉄道博物館の本館2階「トレインレストラン日本食堂」で期間限定メニューも提供(写真:マイナビニュース)

    「走るレストラン ~食堂車の物語~」の開催期間中、鉄道博物館の本館2階「トレインレストラン日本食堂」で期間限定メニューも提供

企画展「走るレストラン ~食堂車の物語~」は本館2階「スペシャルギャラリー1」にて9月14日から開催中。食堂車のたどってきた歴史を時系列順に紹介している。

日本の食堂車は1899(明治32)年、山陽鉄道が京都~三田尻(現・防府)間で食堂車を連結したことが始まりとされる。当時、瀬戸内航路という強力なライバルがいたことから、山陽鉄道はさまざまなサービスを展開。食堂車もそのひとつだった。当時のメニューは洋食が中心で、利用者は富裕層や上流階級がほとんどだった。

当時の様子を知ってもらうべく、企画展では石炭レンジの実物が展示されている。その名の通り、石炭で火を起こして調理を行っていた。石炭レンジの上部にフライパンや鍋を乗せ、調理を行っていたとのことだが、置く位置によって火加減が異なったため、使いこなすために熟練の技が必要だったようだ。

  • 当時の様子を大きなイラストで紹介。長いテーブルが特徴的

  • 山陽鉄道の列車に連結された食堂車の様子(『山陽鉄道案内』より)。写真での記録は大変貴重なものだという

  • 実物の石炭レンジ(展示物は1950年代のもの)。蒸気機関車のように石炭をくべて火を起こし調理を行った(提供 : 株式会社フジマック)

ちなみに、食堂車そのものは米国で誕生した。大陸横断鉄道が開通する2年前の1867年、寝台車会社「プルマン」が連結した食堂車を起源としている。

国土の広い米国では、必然的に鉄道での移動中に食事を取る必要があった。最初は駅の食堂で食事の時間を設けていたが、次第に走行中の列車で食事を行えるサービスが求められるようになり、その中で食堂車が生まれ、世界に広まった。

日本では1906(明治39)年3月の鉄道国有化以降、洋食を中心としながらも、同年4月に登場した東海道線の三等急行列車で和食堂車が導入されるなどの変化も現れ、それまで食堂車を利用できなかった一般庶民にも利用しやすい環境ができていった。

  • 今回の企画展では、海外の食堂車にまつわる展示も行われている

  • 戦前の特急「燕」の食堂車の案内

1938(昭和13)年に日本食堂(現・日本レストランエンタプライズ)が設立されるまでは、複数の事業者によって食堂車が運営されていた。それぞれが競合し、自社を高め合う時代でもあった。当時はまだ車内放送がなかったため、食堂営業に合わせて乗客にチラシを配っていた。企画展ではそのチラシも多数紹介されている。

だがその後、第二次世界大戦の激化により、鉄道は旅客輸送から軍事輸送にシフトすることになる。食堂車もその影響を受け、1944(昭和19)年3月をもって寝台車、一等車ともに姿を消した。戦後の1949(昭和24)年9月、東京~大阪間の特急「へいわ」、東京~鹿児島間の急行「きりしま」で食堂車が再開された。

  • 車内放送がなかった時代のチラシ(写真は「みかど」のチラシ。泉和夫氏提供)

  • 戦前、食堂車が連結されていた特急「燕」の休止は大きく告知された

1950年代以降、食堂車のあり方は多様化し、東京~大阪・神戸間の特急「こだま」で誕生したビュッフェや、東京~大阪間の客車急行「なにわ」「せっつ」が電車化した際に登場した「すしカウンター」など、多岐にわたった。

1968(昭和43)年10月の「ヨン・サン・トオ」ダイヤ改正で特急列車が増発された際、食堂車も大半の列車に連結されたが、高速化による乗車時間の短縮、車内販売の増加といった影響もあり、食堂車は数を減らしていった。1986(昭和61)年までに昼間の食堂車営業は全廃となっている。

  • 食堂車再開のあいさつと案内(日本レストランエンタプライズ所蔵)

  • 「こだま」に連結された「モハシ21001」の車体番号板。「シ」は食堂車やビュッフェ車などに使用された

  • 特急「こだま」のビュッフェの様子(日本レストランエンタプライズ所蔵)

  • 1/20の縮尺模型も展示されている。写真の「サハシ153-10」では寿司が提供された

  • ナシ20形。テーブルの上の灰皿や花瓶も再現

  • 新幹線0系のビュッフェ合造車「35形2号」。開業当初の東京~博多間は7時間近くかかったため、新幹線にも食堂車が連結された

JRグループ発足後、1988(昭和63)年デビューの寝台特急「北斗星」、1989(平成元)年に登場した寝台特急「トワイライトエクスプレス」などで食堂車が連結される。1992(平成4)年にデビューした787系の特急「つばめ」でビュッフェが復活するなど、多様化する食堂車を活用したサービス向上策を展開した時期もあったが、その後は鉄道輸送のさらなる高速化により、現在までにほぼすべて運行を終了している。

  • 寝台特急「北斗星」(写真左)・「あさかぜ」(同右)の食堂車で使用されたいす

  • 寝台特急「カシオペア」のティーカップとディナー皿。「カシオペア」は団体専用の臨時列車として現在も在籍中

企画展の最後は2017(平成29)年5月デビューの「TRAIN SUITE 四季島」を例に、新たな食堂車の形を紹介。6号車に設けられたダイニングをはじめ、5号車にバーカウンターが設置され、移動や食事を心行くまで楽しめるサービスを提供していることがわかる。姿を消すと思われていた食堂車は、「旅そのものを楽しむ」クルーズトレインに新たな活躍の場を得ることになった。これからもゲストの旅を美味しく彩っていくだろう。

「走るレストラン ~食堂車の物語~」では、他にも食堂車以外での食事として、駅弁や鉄道連絡船での例も紹介している。多数の展示とともに解説が用意されているため、さまざまな側面から鉄道と食の歴史に触れ、深く学べる貴重な機会となるだろう。展示の全貌は、ぜひ鉄道博物館の会場で確かめてみてほしい。

  • 「TRAIN SUITE 四季島」のトレインクルー制服や映像資料なども見ることができる

  • 「走るレストラン ~食堂車の物語~」は2020年1月19日まで開催

企画展の開催期間中、本館2階「トレインレストラン日本食堂」では、1938(昭和13)年当時の昼食メニューで最も高価だったという「洋食定食」をもとに、当時のメニューをひも解き、期間限定メニューとして提供している。

2枚のビーフステーキをメインに、付け合わせとして人参のグラッセ、当時のメニューにも記載されたロールパンをセットで提供。デザートとなる果物は当時のものが不明とのことで、懐かしさを感じさせる冷凍みかんが採用された。

ステーキはそのままでもやわらかく、おいしく食べられるが、2枚の肉にスライスレモンや、パセリとレモン汁を配合したメントルテールバターが挟まり、これらと肉を一緒に食べることでさっぱり感が増す。洋食定食は3,000円(税抜)で提供される。

  • ダブルビーフステーキをメインにしたメニュー。1938年の洋食定食をイメージしている

  • 往年の食堂車を思わせるおしゃれな空間で、極上のひとときを洋食定食とともに

企画展「走るレストラン ~食堂車の物語~」は2020年1月19日まで開催。鉄道博物館の入館料のみで見学できる。期間中は毎日2回ずつ、寝台特急「あさかぜ」の食堂車にまつわるドキュメンタリー映像が放映されるほか、土休日に展示解説員によるガイドツアーも行われる。11月23日と1月11日、「カシオペア」総料理長の五十嵐章氏を迎えてのトークショーも予定している。