ロシア科学アカデミー・レベデフ物理学研究所のアストロ・スペース・センター(ASC)は2019年1月15日、ロシア唯一の天文衛星である「スペクトルR(Spektr-R)」との通信が10日以来途絶え、正常に運用できなくなっていると発表した。観測再開に向けた作業が続いているが、本稿を執筆している2月11日現在、復旧には至っていない。

スペクトルRは2011年7月の打ち上げ以来、設計寿命の5年を大きく超える約7.5年間にわたって活躍し、多くの成果を残した。一方、そのあとを継ぐ新しい天文衛星の開発も進んでおり、今年中の打ち上げを目指している。

  • 電波天文衛星スペクトルRの想像図

    電波天文衛星スペクトルRの想像図 (C) NPO Lavochkin

スペクトルR

スペクトルRは、国際共同のスペースVLBI観測計画「ラジオアストロン」のために開発された衛星である。

VLBIとは「超長基線電波干渉計」のことで、それぞれが遠く離れた位置にある複数の電波望遠鏡を協調させ、擬似的に巨大な電波望遠鏡を構成し、宇宙を観測するというものである。これにより、ひとつの電波望遠鏡では実現できないような高い角分解能(対象をどれだけ細かく識別できるかを角度で示したもの)を実現することができる。

このとき、望遠鏡同士の距離が望遠鏡の口径とほぼ同義になるため、原理上は望遠鏡同士が離れていればいるほど高い性能が得られる。しかし、地上に望遠鏡を置く場合には、地球の大きさという制約があるため、地球の直径以上には大きくできない。

そこで、宇宙に電波望遠鏡を打ち上げ、地球上の電波望遠鏡と連携させることで、地球上では実現できないほどのとてつもなく巨大なVLBIを作り出す技術、それが「スペースVLBI」である。その技術の実証と実際の観測は、日本が1997年に打ち上げたMUSES-B「はるか」が、世界に先駆けて実施した。

  • スペースVLBIの想像図

    スペースVLBIの想像図。右に写っているのは日本の電波天文観測衛星「はるか」 (C) NASA/JPL

ラジオアストロンは、この「はるか」に続くスペースVLBI計画として立ち上げられ、ロシアを筆頭に、米国やオーストラリア、中国、インド、日本など11か国が参加。そして、そのかなめとなる電波望遠鏡衛星がスペクトルRである。

スペクトルRの最大の特徴は、"宇宙に浮かぶ電波望遠鏡"を実現するための、直径10mもの巨大なパラボラ・アンテナである。このアンテナはアルミニウムと炭素繊維で造られた、27枚の花びらのような部品によって構成されており、打ち上げ時はつぼみのように折り畳み、軌道上で開花する。ちなみに「はるか」のアンテナは直径8mであり、スペクトルRのアンテナは世界最大で、「宇宙に置かれた世界最大の電波望遠鏡」としてギネス世界記録にも認定されている。

このアンテナの下には、衛星の主要機器が搭載された衛星バス部がある。観測機器はロシアだけでなく、米国やフィンランド、オーストラリア、インドなども提供している。また、観測時には地上側の望遠鏡と時刻を正確に同期させる必要があることから、原子時計も搭載されている。

衛星の開発、製造は、ロシアの科学衛星の名門であるNPOラーヴォチキンが手がけた。打ち上げ時の質量は3850kgで、設計寿命は約5年。

スペクトルR、そしてラジオアストロンによって、星形成や、銀河や星間空間、ブラックホール、ダークマターなどの構造を観測し、研究が進むことが期待された。

  • 打ち上げ準備中のスペクトルR

    打ち上げ準備中のスペクトルR。アンテナが折り畳まれ、つぼみのようになっている (C) NPO Lavochkin

計画の始まり

ラジオアストロン、そしてスペクトルR計画の始まりは、いまから40年近く前にまでさかのぼる。ラーヴォチキン設計局(当時)はこの年、きわめて野心的な天文衛星の計画を立ち上げる。ひとつがガンマ線天文衛星「2AG」、そしてもうひとつが電波天文衛星「2AM」、のちのスペクトルRだった。

その後、検討が進む中で計画は変化し、1988年にはスペクトルR、紫外線天文衛星「スペクトルUF」、そしてX線天文衛星「スペクトルRG」の3機種を並行して開発すること、そして早期警戒衛星「オーカ」を基に、これらスペクトル・シリーズのための標準バスを開発することなどが定められた。

ちなみにこの当時、米国も複数の天文衛星によって、異なる波長で宇宙を大々的に観測する「グレイト・オブザバトリー(Great Observatories)」計画を立ち上げていた。これは、光学宇宙望遠鏡「ハッブル」、ガンマ線天文衛星「コンプトン」、X線天文衛星「チャンドラ」、そして赤外線天文衛星「スピッツァー」の4つの衛星からなる大規模な計画だった。

振り返ってみると、ソ連のスペクトル・シリーズは、これら米国の天文衛星艦隊に勝るとも劣らない構想だったのである。

1990年代に入り、NASAは同計画の衛星を次々に打ち上げ、華々しい成果を残す。しかしその一方で、ソ連は1991年12月25日に解体され、新生ロシア連邦は財政難にあえぎ、その影響は宇宙開発を直撃した。

宇宙科学の分野においては、火星探査機「マルス94」の開発を続けるので精一杯で、さらにこれも計画は遅れ、打ち上げ予定が1994年から1996年に、名前も「マルス96」に改名される羽目となった。そのような状況の中で、3機のスペクトルを開発する余裕は無く、計画の優先度は下げられることになった。

そして、その後も長い間、スペクトル・シリーズは飛ぶことはなかった。

  • 検討初期のころのスペクトルRの想像図

    検討初期のころのスペクトルRの想像図 (C) NPO Lavochkin