トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏はこのほど、2018年の米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りを果たした。

  • 自動車殿堂による授賞式は、米国デトロイトで19日に開催。トヨタからは内山田竹志会長らが代表して参加した

米国自動車殿堂の会長を務めるShiloh Industries社長兼CEOのラムジー・ハーミス(Ramzi Hermiz)氏は豊田喜一郎氏について、「自動車産業への重要な貢献の数々に証明されているように、歴史上の限られた人しか持ち合わせていない先見性とイノベーションを具現化した人物です」とコメント。

  • 1936年、トヨタ自動車初の生産型乗用車として誕生した「トヨダ AA型乗用車」。当時流行のストリームラインをいち早く採り入れ、理想的な前輪荷重や優れた乗り心地を実現したことはきわめて先進的であり、海外と比べても一歩先を行くものであったと言えるだろう

トヨタの社長を務める豊田章男氏は、今回の殿堂入りについて次のように語った。
「豊田喜一郎は、1920年代、米国の街中を多くの車が走る光景に大きな影響を受け、『国産車をつくり、日本に自動車産業を興す』という創業の志のきっかけにもなりました。喜一郎にとって米国は特別な国だったに違いありません。今回、その米国で自動車殿堂入りを果たしたことは、トヨタの継承者として、孫として、大変嬉しく、誇らしく思います。自動車業界は今、100年に一度の大変革期を迎えています。過去の成功体験にとらわれず、自動織機から自動車へのモデルチェンジに挑んだ喜一郎の殿堂入りは、変革期のさなかにある私たちに向けた『たとえすぐには報われなくても未来のモビリティ社会のために闘ってほしい』という喜一郎からのエールであるようにも感じています。米国自動車殿堂の皆さま、私の祖父を、私たちの創業者を殿堂に選出くださり、本当にありがとうございます」

  • 豊田喜一郎氏(1894-1952年)

豊田喜一郎氏は1894年、自動織機の発明家である豊田佐吉氏の長男として誕生した。東京帝国大学を卒業後、父が設立した豊田紡織に入社し、1926年には新たに設立した豊田自動織機製作所の常務取締役に就任。

1921年と1929年の米欧視察を通じて自動車社会に触れ、日本における自動車の到来を予見した同氏は、国産自動車づくりへの挑戦を決意した。1933年には豊田自動織機製作所に自動車部を設置。翌年には自動車事業への進出を正式決定し、エンジンの試作を完成させたという。

その後、1935年に初の試作車「A1型乗用車」完成したほか、「G1型トラック」も発表。翌年には「AA型乗用車」を生産開始し、1937年にトヨタ自動車工業を設立した。同氏は1941年から社長に就任したが、1950年には労働争議の責任を取って社長を辞任している。