ずいぶん昔の話だが、茨城県のある湖に行ったときのこと。岸の近くを歩いていたら、なにかが腐ったような異様なにおいを感じた。岸辺の湖面は緑色に濁っていて、岸に打ち上げられた緑の物体は、すこし干からびていた。悪臭の源は、この「アオコ」だった。異常に繁殖した小さな植物プランクトンが吹き寄せられ、腐っていたのだ。

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    写真1 実験を行った米コーネル大学の池。(写真はいずれも山道さんら研究グループ提供)

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    写真2 シートで水面の一部を覆って実験している様子。

ここまで増えてしまうと困りものだが、水中の生態系にとって、植物プランクトンは重要な存在だ。水面近くの浅いところに届く太陽の光を吸収し、植物に特有の「光合成」で栄養分を作りだす。これを食べた動物プランクトンを小魚などが食べ、それがさらに大きな動物のえさになる。生き物たちに必要な栄養の大本を作るのが、この植物プランクトンなのだ。

植物プランクトンは太陽の光を受けて栄養分を作るので、太陽光がよく当たれば増える。そう考えられていた。だが、東京大学の山道真人(やまみち まさと)講師らの研究グループが池で実験したところ、そうはなっていなかった。太陽光を増やすと植物プランクトンは減り、代わりに底の水草が増えていたのだ。

アオコは、植物プランクトンが異常に増殖した状態だ。畑の肥料や家庭からの汚れた水が流れ込むことなどで湖や池の栄養が増えすぎることが、その原因とされる。これが海だと赤潮となる。その色は植物プランクトンの種類で決まり、じつはアオコも、色は緑だが広い意味で赤潮の一種だ。山道さんによると、湖での植物プランクトンの増殖について、これまで湖水の栄養分との関係はよく研究されてきたが、光の量との関係についての研究例は、あまりない。そこが、この研究のユニークな点だ。

山道さんらが実験したのは、米ニューヨーク州にあるコーネル大学の実験池。1辺が30メートルの正方形の池で、中央の最深部は1.5メートル。水温などが水面近くと底とであまり違わない浅い池だ。この池を六つ使った。このうち二つは水面の4分の3をシートで覆い、これが光の少ない池。もう二つは6割ほどを覆った、光が中程度の池。残りの二つはシートで覆わなかった。最初に水を干してからフィルターでこした水を入れ、最初の条件を統一してから2015年7~9月に実験を行った。

すると、予想に反して、光の少ない池のほうが植物プランクトンの量が増えた。光が中程度の池の2~3倍にもなっていた。その代わり、底に生えているシャジクモなどの水草が少なかった。植物プランクトンと水底の水草が、どうも競合しているらしい。

その点を明らかにするため、山道さんらは、この競合のしくみを数式で表し、コンピューターで解いてみた。その結果、光の量が少ないと水底まで届く光が減って水草が育たなくなり、そのぶん植物プランクトンが栄養分を得やすくなって増殖することがわかった。たとえば湖面に発電用の太陽光パネルを広く置いたりすると、水に差し込む光が減って植物プランクトンが増殖し、湖水が緑に濁ってしまう可能性があることをうかがわせる結果だ。

もうひとつ、面白いことがわかった。シートで覆わなかった35個の池を調べたところ、水草が多い池と少ない池の2種類に分かれたのだ。中間型は少なかった。

これについても、さきほどの数式を使って理由を調べてみた。その結果、光がとても多ければ、水草が圧倒的に優位になって植物プランクトンはほとんど発生しない。逆に光が少ないと、植物プランクトンが優位になる。だが、光がその中間のほどほどの量だと、「水草優位」の池と「植物プランクトン優位」の池の二通りが、理論的に存在可能なのだ。その中間型は、かりに存在したとしても不安定で、すぐに二通りのどちらかになってしまう。シートで覆わなかった実験池では、光がほどほどの量になっていて、理論通りに二通りの池が実現していたのではないかと、山道さんらは考えている。

ということは、この実験池に差し込む太陽光がもう少し多くなれば、すべての池が突然「水草優位」になり、逆に少なくなれば、全部が一気に「植物プランクトン優位」の濁った池になってしまう。理論的には、そんな急変もありうることになる。

山道さんによると、生態系ではこのような「実現可能な二通りの状態」が、しばしば現れるという。生態系だけではない。大気と海洋、陸地が複雑に関係しあう地球の気候でも、この二通りの状態が指摘されている。現在のような温暖な気候と、今から6億~7億年ほど前、赤道近くまで氷に覆われていた「スノーボールアース」の寒い気候だ。生態系にしろ地球にしろ、今まで「二通り」が可能でそのどちらかが実現していたのに、ちょっと条件が変わるだけで、急に「一通り」しかありえなくなる可能性がある。あるときを境に、がらりと状況が変わってしまうかもしれないということだ。この「二通りの状態」は、自然界のあちこちにみられるらしい。私たちは、けっこうきわどい世界に暮らしているのかもしれない。

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