欧州宇宙機関(ESA)と民間企業からなる開発チームは2018年3月5日、大気を取り込んで推進剤として利用する、「大気吸い込み型イオン・エンジン」の開発と噴射試験に、世界で初めて成功したと発表した。

高度200kmあたりの超低高度軌道には、希薄ながら大気が存在する。そのため、この領域を飛ぶ衛星は大気との抵抗で高度が落ちないよう、ロケットエンジンを噴射して飛行する必要がある。従来の衛星は、キセノンを推進剤に使うイオン・エンジンを使っていたが、推進剤を使い切れば運用を終えるしかなかった。

しかし、大気を推進剤に使うこのエンジンが実用化されれば、より長期間飛び続けることができるようになり、超低高度軌道を飛ぶ衛星の開発や利用が大きく進むことになるかもしれない。

  • 大気を取り込んで推進剤として利用する、イオン・エンジンの噴射試験の様子

    大気を取り込んで推進剤として利用する、イオン・エンジンの噴射試験の様子 (C) ESA/Sitael

超低高度軌道

「宇宙は真空」とはよくいわれるものの、実際には高度数百kmの地球低軌道では、ほんのわずかながらまだ大気が存在する。そこを飛ぶ衛星は、その希薄な大気の抵抗を受け続け、その抵抗が積もり積もって速度が削られ高度が落ち、やがて地球に落下してしまう。

そのため、高度400kmを飛ぶ国際宇宙ステーション(ISS)など、地球低軌道を回る衛星は、定期的にガスジェット(小さなロケットエンジン)を噴射して、大気との抵抗で削られたエネルギーを補い、高度を維持している。

しかし、それよりもさらに低い、高度200km前後の「超低高度軌道」に衛星を飛ばそうとすると、条件はさらに難しくなる。

ESAは2013年、「GOCE」という地球の重力場などを観測する地球観測衛星を打ち上げた。重力場を詳細に観測するためには、なるべく地球に近いところを飛ぶ必要がある。そのためGOCEは、高度約250kmという超低高度軌道を飛んだ。この高度の大気は、ISSなどが飛ぶ低高度に比べて数百倍も多い。もちろん人が呼吸できるほどではないものの、衛星にとっては濃密といえるほどの量で、ほうっておくとすぐに地球に落下してしまう。

そのため、軌道を維持するために多くのエネルギーが必要で、従来の衛星とようなガスジェットでは、推進剤をすぐに使い切ってしまい、同時に衛星の寿命もすぐ尽きることになってしまう。

そこでGOCEは、電気推進エンジンのひとつの「イオン・エンジン」を搭載した。イオン・エンジンは、キセノンなどの推進剤をイオン化し、それを電場で加速して噴射するという仕組みのエンジンで、ガスジェットに比べ効率(燃費)がはるかにいいという特徴をもつ。その反面、推力は弱いものの、大気との抵抗に抗うには十分な力をもっている。GOCEは必要に応じてイオン・エンジンを噴射し続けることで、大気抵抗を打ち消すように飛び、そして軌道を維持し続けることができた。

ちなみに日本も、昨年末に「つばめ」と名づけられた超低高度の軌道を飛ぶ試験衛星を打ち上げ、高度180~300kmの軌道を、やはりイオン・エンジンで大気抵抗を打ち消しながら飛ぶ試験に挑もうとしている。

  • ESAが2013年に打ち上げた、超低高度軌道を飛ぶ衛星「GOCE」

    ESAが2013年に打ち上げた、超低高度軌道を飛ぶ衛星「GOCE」。必要に応じてイオン・エンジンを噴射し、大気との抵抗を打ち消しながら飛ぶ (C) ESA

邪魔な大気を、逆に推進剤に利用

しかし、GOCEも「つばめ」も、イオン・エンジンの推進剤の搭載量が、衛星の寿命に直結している。つまり推進剤を使い切ってしまえば、その直後から大気の抵抗で落下を始め、運用を終えざるを得ない。

実際、GOCEは2013年10月21日に推進剤が切れたが、それからわずか1か月足らずの11月11日に大気圏に再突入している。

この超低高度軌道に衛星を長期間飛ばし続けるため、かねてより、この邪魔者である希薄な大気を逆手に取って、イオン・エンジンの推進剤として利用できないかというアイディアが考えられてきた。

このアイディアは「大気吸い込み型電気推進」(Air-Breathing Electric Propulsion)と呼ばれ、世界中で研究が行われていたが、今回、ESAとイタリア、ポーランドの民間企業からなる開発チームが、世界で初めて実用化に成功した。

このエンジンは、衛星の前面にある穴(インテーク)から大気を送り込み、イオン・エンジンの中へ導き、イオン化し、電場で加速して噴射する。大気を取り入れること以外は、通常のイオン・エンジンと大きな違いはないものの、効率よくイオン化して加速するため、エンジンにもさまざまな工夫を施したという。

搭載している推進剤がなくなれば動かなくなる従来のイオン・エンジンとは異なり、このエンジンは大気と電力さえあれば、壊れない限り動かし続けることができる。

また、空気を取り入れる仕組みも簡素で、高度200kmを衛星の速さ(秒速7.8km/s)で飛ぶと、自然に大気がエンジンに流れ込み、さらにその風圧で自然に圧縮される。そのため、飛行機のジェット・エンジンのような大気を強制的に吸入する機構は必要なく、バルブなどの複雑な部品もない。大気を効率よく取り入れ、エンジンに送り込むためのインテークの開発は大きな課題だったというが、おかげでシンプルかつ丈夫なエンジンになっている。

  • 大気吸い込み型イオン・エンジンの仕組み

    大気吸い込み型イオン・エンジンの仕組み。シンプルな構造をしている (C) ESA-A. Di Giacomo

紫色の噴射が示した成功

こうして完成したエンジンは、高度200kmの宇宙環境を模した真空チャンバーの中に入れられ、実際に動くかどうかの試験が行われた。

試験はまず、キセノンを使ってエンジンが動くかどうかを確認するところから始まり、それに続いて、キセノンに窒素と酸素、すなわち地球の大気の主成分を混ぜた空気が流し込まれた。

開発を手がけたESAのLouis Walpot氏は、「エンジンから出る噴射の色が、キセノンを使う青色から、窒素と酸素を使った際の紫色に変わったとき、私たちは成功したことを確信しました」と、そのときの興奮を語る。

さらにその後、大気だけを使った動作にも繰り返し成功したという。

Walpot氏は「この結果は、大気吸い込み型電気推進はもはや理論上のものではなく、いつでも実際のミッションに役立つ、実用的なものになったことを意味しています」と語っている。

  • 大気吸い込み型イオン・エンジンをキセノンで動かした際の様子

    大気吸い込み型イオン・エンジンをキセノンで動かした際の様子。この段階では噴射は青い色をしている (C) ESA/Sitael

  • 推進剤を空気(窒素と酸素)に変えた際の様子

    推進剤を空気(窒素と酸素)に変えた際の様子。キセノンのときの青色から、紫色に変わっていることがわかる (C) ESA/Sitael

超低高度軌道の活用に期待

このエンジンが活躍する高度200km前後の超低高度軌道には、さまざまな可能性が眠っている。

たとえばGOCEのように、この軌道を飛んで初めて観測できることがある。また、そもそもこの高度の大気がどうなっているか、まだ詳しくはわかっていないこともあり、科学的に大きな価値がある。

また、ビジネスや防災など、宇宙利用にとっても大きな価値がある。たとえば他の衛星より低い高度を飛ぶことで、小型衛星でも従来の大型衛星と同じくらいの観測ができたり、あるいはより細かく地表を観測したりといったことができる。また、合成開口レーダーという電波を使って地表を観測する衛星の場合、必要な電力を少なくすることができる。

さらに衛星を小型化、省電力化できるということは、衛星の製造、打ち上げコストを低減できることにつながる。低コストということは、その分多くの衛星を打ち上げて、地球を常時観測したり、あるいはある場所を見たいときに、近くを飛ぶ衛星がすぐにその上空を通過する軌道に乗り移ったりすることもできるようになる。

こうしたことから、超低高度衛星は、地球の環境観測をはじめ、防災や安全保障などに役立つほか、データの利用、販売によるビジネス化の可能性もある。さらに、いままでになかったような、新しいミッションや利用方法も生まれるかもしれない。

実現にはまだいくつか技術的な課題があるが、その大きなひとつだった、軌道を維持するための推進剤の問題が、今回のエンジンで解決できるようになれば、実現の可能性は大きく高まる。

また、このエンジンは、地球とは異なる大気をもつ他の惑星、たとえば大気の95%が二酸化炭素の火星でも使えるという。近い将来、火星の超低高度軌道を飛んで、地表や大気について詳しく調べることができる、高性能な探査機が実現するかもしれない。

  • 真空チャンバーの中で試験を待つ大気吸い込み型イオン・エンジン

    真空チャンバーの中で試験を待つ大気吸い込み型イオン・エンジン (C) ESA

参考

World-first firing of air-breathing electric thruster / Space Engineering & Technology / Our Activities / ESA mobile
D. DiCara, J. G. del Amo, A. Santovincenzo, B. C. Dominguez, M. Arcioni, A. Caldwell, and I. Roma, "RAM electric propulsion for low earth orbit operation: an ESA study", 30th IEPC, IEPC-2007-162, 2007.
Air-Breathing Electric Propulsion Tony Schonherr (2015/11/16)
Introducing GOCE / GOCE / Observing the Earth / Our Activities / ESA
つばめ(SLATS) | 人工衛星プロジェクト | JAXA 第一宇宙技術部門 サテライトナビゲーター

著者プロフィール

鳥嶋真也(とりしま・しんや)
宇宙開発評論家。宇宙作家クラブ会員。国内外の宇宙開発に関する取材、ニュースや論考の執筆、新聞やテレビ、ラジオでの解説などを行なっている。

著書に『イーロン・マスク』(共著、洋泉社)など。

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